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霊癒の科学(6) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(6)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳

 

の支配霊、第二は、放射についての知識に熟達しているもの、(諸君
の地上の科学者は今日それを放射能倣と呼んでます)第三は?余りに
傑れていないけれど、診断の方法に精通し、病人の身体の患部に他の
二人の者の所見を指向してそれにより調和を恢復する事が出来るもの
だ。
「けれども、患部は肉体の内部に発見されるが、不調和は実際に生活
体即霊体の内部に存在して、それが肉体的に明白になる前に、何時の
間に、既にそうなっていた事を理解せねばならぬ、均衡の恢復が最初
に成就されねばならぬ部は霊体の内部である。肉体的健康は問もなく
それに次いで起る。」
「他の見方がある。霊癒家は患者と治癒機能との問の一つの連鎖だ。
霊癒家は直接に操作が出来ないからだ。若し諸君に疼痛があれば諸君
の心はそれを超越する事が出来ない様、患者自身が祈っても治療に成
功する事が出来ないのが普通だ。若しそれが出来たらその際外部の霊
癒家は不必要であらう、同じ事は不在治療にもあてはまる。」
「必要な唯一の条件は霊癒家が自身を借す用意で、それ以外に何もな
い。諸君は一時に一つの世界に住んでいる。諸君の全意誠は、第一に
地球生活に集中されてるから、諸君は他の部分を認める事が出来ない、
それはよい事もあらうし、叉よくない事もあるが現在の状態ではそれ
が必要だ。
不在治療の際、吾々にとって条件が適正な時は一瞬ですべてが事足り
る、条件が完備してる時、
                           四六頁


  吾々は諸君にそれを語るよりも少い時問で治癒を成就する事が出来
る。」
 質問「或る人が正しい色彩結合をもつかどうか、私たちに知ること
が出来ますか。」
  「諸君は諸君に語るに足る賢明な人々おを信頼せねばならぬ、そ
れは多くの事に関係する。諸君は全部類属の中におかれてる。
誰れも見落されない。或る人が霊癒家になる可能性がある場合、霊界
の研究家の一隊は、即時にその仕事に対して、必要な色の再編成を試
みる。」  
 質問 「私は色が常に静止的ではなく、時として流出の状態にある
ものと想像しますが。」
「青は常にそこにある、それは消して消失する事は出来ない、青はす
べての他の色を通過するだらう。」
               四七頁

 

     第六章 霊癒一般の問題

 霊癒の種々の分類を説明する前に、治療法全体としての或る一般的
観察は、読者をして、今後の説明一層よく認めさせる事が出来るでせ
う。 
 霊癒家自身も、此れ迄自分で採用してる治療法が有効でせうと、約
束したり、断言する事が出来たものは一人もありません。霊癒家が同
様の症例に於ける既往の成功には留意すろことがあるでせうが、此の
仕事に就いての先例に頼ることは出来ません。
 霊癒家は患者のうげる事が出来るあらゆる助力が霊医によりて与へ
られろものと心から信頼しなけ牡ばなりません。
 ?々外観的に認められる、効果がない事は、霊癒家を失望させます。
特に患者が近親だっかり友人である場合にそうです。特として外観上
類似してる症例で、一人の患者は治り、他の患者は治らない事もあり
ませう。
                 四八頁


著者は、早期及び晩期の結核に悩む多数の患者の迅速で完全な治癒を
致す仲介でありました。
そして近い親戚の者が此の病ひに悩まされた時、幾回か療養院に患者
を訪間して、あらゆる努力をしたに係らず、此の患者は終に帰幽しま
した。叉聾に悩む見知らぬ人には即時の洽癒を来したのに、極めて近
い親戚の同じ病人には外観的の軽快も認めら牡まぜんでした。
 斯る関係上、著者の最も失望したのは友人ジャック・ウエバーの帰
幽した事でした。
 此の偉大な霊媒の帰幽物語は今初めて話すわけです。彼の帰幽直前
の週間にジャックは健康良好で、二回も顕著な物理現象の実験を供覧
してました。
 月曜日に激痛を以て発病しました。著者は彼を訪問して施療しまし
た。此の場合に、著者は、此の霊媒からその病苦を自身にふりかへし
やうとした程、強い友情をもつてました(此の方法は実際、決して実
行してはいけません、多くその結果を見てがつかりします)患者の痛
みだけは軽くなつだけれど、症状は大して軽快しませんでした。此の
夜、ジャックは、彼か脳膜炎に罹つてると告白ました。
 火曜日に医師が招かれましたが、その時疾病の診断は出来ませんで
した。疼痛が続いたので再び施療されました。
 水曜日に、ジャックは大変快くなつたやうに見えて、疼痛はすつか
り消散しましたが、頭か変
               四九頁


フラフラすると云ひました。医師は軽快したので満足したのか再び診
に来ませんでした。
 翌晩著者が、霊媒にあった時、彼は起き上って衣服をきていました。
痛みは全然訴へなかったけれど、彼は小児の様なことをしていました。
例えば何にも書いていない書翰箋の一束を読もうとしたり、火箸で火
をいぢったり、頑迷になったり、いろいろの事をやりました。著者は
彼に着物をぬぐ様説得して床に就かせました。
 著者が彼の寝床の端に腰かけ乍ら、彼の好きな歌の一曲(丁抹の少
年)を歌ったのが彼に関する最後の思い出になりました。
その夜霊媒の身体は硬直しました、木曜日の早朝ジャックは入院しま
した。その後の二四時間以内に霊は彼の肉体を去らうとしてました。
 生命の最後の日の中に、病院で試験が行はれ、ジャックはテキサス
熱と骨髄膜炎に犯されているものと診定さ且ました。
 此等の病気の事をよく知ってるものは、全然普通でない症状、即ち、
疼痛、激しい動作、及び痙撃の欠存してた事を容易に認めるでぜう。
昏睡状態に於ける霊媒にっいて、可なり多くの経験をもってる著者の
確かな意見は、水曜日にすべての疼痛が止った時、ジャックは彼の指
導霊の看護の下におかれて昏睡状態でした。彼の魂と生命霊はその日
に別れ去り、彼の霊体の一部即生活体(幽体を意味するか)を肉体を
保存する為に戦ひ続けるよう残して(指導霊の支配のドに)い
                 五〇頁


つたものと云ってよさそうです。指導霊は、彼等自身が最もよく知っ
ている理由上、霊媒の生命を救ふ事が出来ないので、その妻、友人及
び彼自身を苦悩から免れさせる為あらゆる事を行ったのです。
 扨て茲にその後目物語があります。
 二週問後、著者はC嬢と云ふ婦人から、友人を助けてくれと求めら
れて、職業的の訪問をしました。此の女の友人は激しい疼痛症状の為
入院した南部イングランドの男でした。彼を支えるのに四人の看護人
が必要でした。その男の親戚はよばれて著者を訪問する途上でした。
 その婦人は著者に助けを求めておき乍ら、その男が何病に罹ってい
たか知りませんでした。
 然その症状につき彼女の知ってる事を語ったのをきいて、此の男も
亦テキサス熱と脊髄膜炎の一例であることが著者の内部の心に浮んで
来ました。C嬢の望みは疼痛が軽くなり、容態が進行しなくなるかも
しれぬと云ふ事だけでした。
 C嬢が助を求めていた時、患者の親戚の人々は病院へ向ふ列車の中
にいた事を記憶して下さい。
彼等が到着した時、数名の医師が患者のまわりで病床会議を開いてる
のを見つけました。すべての疼痛と、譫語(タワゴト)が止んだばかり
でなく、患者は楽しそうにしていたからです。医師は恢復が著明で、
全然説明し難い事を親戚の人々に談しました。医師達は、死の苦悶か
ら常態に近い状態に迅
             五一頁

 

速に移行した事実が理解出来ませんでした。医師連は激しい疼痛と緊
迫の為めあなんなに弱っていたあとで、何処からその力と生活力を得
たかわかりませんでした。医師にとって明らかに奇蹟だった事実に驚
きの目を見はる事が出来ただけでした。
 その男はテキサス熱と脊髄膜炎に犯されていたことが証明されまし
た。
 記録はそこで終っていませんでした。
 短時日後、著者はその男が退院して、恢復期の養生してると報告さ
れ、尚少し後に、患者は陸軍の軍務上、以前の部隊に戻り、その後引
き続いて完全な軍務に指命された事を知らさ牡ました。
 脳膜炎の病後の効果、特に成人に於てかく全治が認められた報告は
文献上にも実に稀有です。
 著者への影響は、暫時つづいた深い憂欝でした。彼が会った事もな
く、名も知らぬ、完全に未知の男が不在治療によりかくも快癒したの
に、個人療法であらゆる努力を強く払ったに係らず、友人ジヤツクウ
エーバが帰幽したのはなぜであったらう。
 (訳者註 霊癒も定命を左右する事が不可能です。
 かく霊癒家は誰一人その結果を断言し得るものがありません。かく
する事は全然彼の力に及ばない事です。治療霊媒はかくして失望並び
に歓喜を共に起し易いのです。
 その結果として治癒は吾々の理解を越へた考察に委ねられる問題で
す。此れは多分、私たちが、
               五二頁


疾病の原因、持続、治癒に責めをもっ理学的喜びに形而上学的法則を、
まだ理解しないからでせう。
叉心者が治癒力の受領に成功する為に所有すべき必要な性状につき、
まだ理解していないのです。
 疾病を起したり叉は丁度起さないですんだりする明確な理学的及び
形而学的法則があります。此等は肉体造構内の状態の変化を来し、か
くて調和を恢復するそれ等の解毒的法則に支配された機能に会ふに相
違ありません。
 霊医はその偉大な智慧で、不在治療により指導するか、又は治癒霊
媒の霊体と肉体を通じて患者に移送する事により、此等の法則に支配
された機能を、生物体内に入れる事が出来たに相違ありません。
 もう一つ、一般的結論を挙げませう。伝達器と受取器との問、即ち
治療指導霊(霊医)と治療霊媒の間に調和を要するように、患者の霊
と肉休との問に調和を要します。
 若し此の後述の条件が適用されなければ、それが成功しなかった場
合をよく説明するでせう。
 霊癒を申込む患者の階級は微細な病苦を訴へるものから不治の疾病
に至るあらゆる状熊を含みます。微恙として著者に疣(イボ)やそば
かすの除去や老令の狆の治療を求められます。
 正常医療と同様早期に病苦に関与すれば有利です。だが霊癒は長持
続いた疾病にも好果をあけ又時としては治癒を来す事もよく知られて
ます。
                五三頁


 明らかに霊癒である者に当面しても、懐疑家には、時としてそれは
信仰療法の結果であると云はれる事があります。即ち患者は彼の信仰
をしてる処の特殊の治療操作の結果として快くなるだらうと心中予期
していたためだと云ふのです。
 心理学的に斯る信仰が成功を助ける事には疑いの余地はありません。
患者は彼の僧の祈祷又は薬瓶に熱烈な伶仰をもつ事もありませう。
それは或る役目をします。時として神霊主義者は死後生存と通信と云
う事実を熟知して治療に成功するという評判の高い治療霊媒に申込み
ます。
 彼は此の特殊の治療家は、彼が快癒する為の器械となる事が出来る
と信じています。此が助力となりませやう。それで若し病苦がその原
囚を患者の霊体中に有つとすれば、彼の意志の力の働きが彼の治癒を
よく助けるでせう。
 かく患者白身の治癒についての信仰の利益を認める時も、霊癒は信
仰療法でない事を力説し、且つそれに対して豊富な証拠をあげる事が
出来ます。
 信仰療法は不在療法の智識を少しも有たぬ多くの人々には適用が出
来ません。不治の病人にも、又腫瘍の目に見えぬ消散にも適用が出来
ません。霊癒家の指の下で悪性腫瘍の消散を起す事は、患者の信仰だ
けでは出来ません。又霊癒家の手の下で、盲人に視力が、聾者に聴力
が恢復するのも信仰では出来ません。
            五四頁

かくて霊癒に責任をもつものは明らかに患者の精神状態ではありませ
ん。霊癒を申込む人々の中で、不治の患者が、可なり高率を占めてま
す。此等不幸な人々は医師より「吾々は貴君に、もう何もして土げら
れません」と云われてます。叉親戚の人々は「吾々は御病人をお助け
する事はもう出来まぜん」
 「御家へ御連れになって出来るだけ慰めてあげて下さい」と云った
意味の語で死の宣告をうけています。それ故かく拒否され、死の宣告
をうけたものが絶望のあまり奇蹟が起るかもしれぬと云う希望をいだ
いて、神霊主義霊癒家の許に連れて来られても怪しむに足らないでぜ
う。
 不治の患者に霊癒が起った事に論争の余地はありません。それ等は
稀有でもありません。殆どすべての霊癒家が一回叉はそれ以上、所謂
不治の患者が治癒された場合に器械になったと当然主張する事が出来
ます。
 斯る治癒は症例の多数に於て起ってるわけではありませんが、その
比率は必しも無視する事が出来ないものです。全冶しない迄も患者は
常に好果のあった事を肯定します。例えば疼痛が減少し、食慾が増進
し、平静に睡眠し、安らかな往生をとげたりする様な事実がそれです。
 記録の研究上恢復の機会は患者の肉体活動と回復力とに助けられて
る事を示します。
 可なり多数の症例に於て、不治の疾病のすべての症状が消散し、患
者はその当座としては恢復
            五五頁


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