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霊癒の科学(18) [心霊と人生]

                    霊癒の科学(18)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳


 何か此の障害を起したか私にはわからないが戦争事情とは何んの問
係もなかった。戦争は治癒期問中も依然として続けられていた。
 第三例 此の患者は手のつけられぬ静脈瘤と長時続いた静脈怒張を
合併した皮膚病に悩されていた。それが医療に反応しなかったのでエ
ドワーズに霊癒が求められた。其の障害が相当永く存続していた問係
上多大の好果は期待出来なかった。数ヶ月問何の変化も起らなかった
が蔓延もしなかった。患者は四肢を休める事が出来なかったから多分
治療の徴候を示さなかったに止ろう。それから、約二週間前になって
突然に迅速に治り始めた。腫脹は消散して、今日、その瘡面は本来の
大きさの半分以下になっているので、進行が同し比率でつづいてゆけ
ば次の二週回以内に全治するに相辺ない。静脈瘤性潰瘍は安静就褥し
得る以外治癒の稀有な事はすべての医師の知ってる事実だ。
 第四例 此は長時問持統した静脈瘤の他の一例である。両脚が大に
腫脹して、一寸とした擦過傷は第三例のものと類似な頑固な潰瘍を起
す傾向かあった。患者は頗る多忙な女性で、戦時中此れ迄足を休める
暇が殆んどなかった。それにも係らずエドワーズ氏が霊癒を問始して
以来腫脹は消褪して、十年位若返ったと彼女自身で云っておる。
 すべて此等の症例は医学的見地から治癒の見込みの最も少いものだ
った点に注意す可きです。
             一六七頁


彼等の一人もそれ迄エドワーズ氏に面会した事はない。エドワーズ氏
は不在治療として知られた療法を彼等に施した。私はどうして療法が
作用するかにつき意見ば述べない。私の云へるのは、事情が上述の如
くであつたと云う事だけだ。

  私を驚かした事実は、吾々が毎日幾回も耳にする此の民主主義を、
自由を、かちとらんとしてる時代に、霊癒を施したり、受けたりする
のが違法で、一旦霊癒が成就した治療を記述する事も亦非合法的だと
云う語だ。戦が終つた時、全部の神霊主義者に、霊媒を迫害し得る嘲
笑す可き法律の撤回を成就するため必死に闘う義務が確かにある。
 此れ迄多数の病院の皮膚病専門家が冷療して軽快させられなかつた
皮膚病患者が霊癒をうけたのは興味があります。
 一九四四年、其の後の報告は疾病の再発を認めなかつたと述べてい
ます。
 此等の症例で、不在治療により癒された瘡の治療から見ても明らか
な様に、霊癒家が原因を除く事により此等の疾病にたずさわつてるも
のと見なす可き理出があります。此を成就するため、血行の性状に或
る変化を生じ、その障害を換起し維持していた毒物又は他の原因体を
除去したと云うのが合理的な仮説でしょう。
              一六八頁

 患者は霊癒をうけている問に、患者は売薬ものまず医療もうけなか
ったと報告されました、 静脈瘤について、著者は霊癒によりて静脈
が常態に復した一例にも会っていません。然し容態は軽快し、静脈の
堅さが感じ、腫脹は消失し、疼痛は減少しました。効果が一週問そこ
そこ続いてからその容態をすっかり治すには他の療法が必要でした。
静脈瘤性潰瘍は或る症例に於てそれで乾涸して唯瘢瘡のみを残すと云
う結果を来す様に加療されました。此は三例で起り、他の例では唯僅
かに軽快を来したにすぎませんでした。
 一九四二年二十九日サイギツク・ニュしス誌に於て次の報告が発表
されました。此れは患者の両親から来た手紙に基くものです。

 不治の疾病をもつ女子が霊癒によりて、戦時の仕事をやる事が出来
た或る霊媒に施された不在治療により、四年間不治の患者として就褥
して、死亡するものと期待された若い女が今時戦争に献身従事してい
る。彼女は生れながらにか弱くて生存すると期待されていず、幼時か
ら彼女の生涯は疾病の長い連続であった。
 成人期に達して急性の咽喉障害が患者の病苦を増加し数回手術をう
けた。其後数年の氷い問病褥に過した。それから脊髄病が起り有痛性
内臓疾患を併発した。
              一六九頁


      
 規則正しい医学的の実験と手術が行はれ、医師は彼女の病状に非常
に同情し且つ興味をいだいた。然し乍ら医学的記録には不治の疾患、
恢復の望み無きものと誌された。其時一人の友人が不在治療を依頼す
る手紙をハリー・エドワーズ氏の許に送った。疼痛と体重減少が止み、
恢復への一般的運動が始まった。
 霊癒が依頼された時から、彼女に規則正しい強壮剤の服用以外、内
外科的医療を受げなかった。
 此の時代に、患者は「目に見えぬ手で自分の躰が取扱はれてる様な
気がする。」と云った。
間もなく彼女は病床を離れて歩き出し普通に近い生活を過す事が出来
た。彼女は政府の或る任務に傭はれる事が出来た程に引き続き快くな
つた。

勿論此の項目の下に前章で既に報告した。癌、急性関節炎、聾、失明
等の多数症例も含まれませう。すべて此等が考察された時、かくて不
治の疾患と認む可き患者の治療数は暗合と見倣すには余りに多すぎま
す。実際霊癒により上述の症例の一例でも治すことが出来たら、それ
は霊癒家にとり、やり甲斐のある仕事でせうし、又医業上にも考究を
要するものとして、自然好い印象を与へる筈でせう。
             一七〇頁

          第十七章 非分類的成績

 次の抜粋はすべてロンドンの新聞とサイキツク・ニューズ誌からと
り入れたものです。報告されたすべてのよ症例で、紙上では一致す可
き二つの条件を要しました。
 第一、患者の氏名と住所をしるし、大多数の症例で支持的な記録に
    よる実証を伴ふ可き事。
 第二、患者は調査し発表された物語を快く支持する事。
    ロンドン新聞の場合 探訪記者は霊癒本部叉は本人の自宅で
    会見し又或る場合には記者が治療中にその会へ列席しました。
    そして診断と成績を確認するため、十分、自由に患者に質問
    する事も出来ました。
 此等の抜粋は順序立っていませんが、それは治療された病状の、広
い範囲を説明する目的には役に立ちますし、紙上で注目する価値もあ
りました。
             一七一頁


 エドワーズが救い得た一つの症例は十二指腸潰瘍のためしばらく悩
まされていた一人の友人で、最近衰弱と激痛のため職業に従事するの
も妨げられました。
 四日後、患者と相談の上不在治療が行はれ、即時に軽快し初めまし
た。患者は翌朝仕事を再開する事が出来て、唯僅かに疼痛の痕跡だけ
があり、その次の日にその疼痛は全然消え去って再発しませんでした。

     霊 癒 の 奇 蹟

 私は初めて神霊主義教会へ行って見た。そこの霊媒で講師だった方
はハリー・エドワーズ氏でした。司会者が霊癒家だと言った。二年以
前から怪我の為固定した二つの腕の骨が日常激しく痛むので、それが
治して貰へるかしらと思っていた。私かかく不審に思ってた時、講師
は壇上で演説しているのに、その姿が私の方へやって来るのを見た。
彼は一時私の上においかぶさる様に思はれて、私は恐怖の余り額に冷
汗が流れた。
 帰途、私はまだその姿が私と一緒にいるような気がした。私が馬鹿
な独語を言っていた時、ひどい痛みが関節に起って路傍の手すりにつ
かまり辛じて身を支えた。二、三秒で痛みが去った。私は関節を動す
事が出来る様な気がした。多年動かさなかったその関節を使って、今
私は此の手紙をかく事が出来る。エミリー・スマイサー誌す。
(ウエスト・モワラソドコード・ロ
             一七二頁

ンドン南部十四)
 一人の母が娘の治療を求めてきた。墜落の結果娘の腕に鶏卵大の塊
が出来たと言うのです。
霊癒家は塊の上に手を置くと二、三秒の内に完全に消散して再発しな
かった。
 内臓の悪性腫瘍のすべての症状を示した母のために、若い女が不在
治療を施してほしいと言って来た。一日以内に非常に怪快したと報告
して来た。一週間後その娘が手紙をよこした。
 「症状はすべて痕方もなく消失しました。母の健康は大層よくなっ
ています。」とかいてあった。
 肉体的病苫だけが関与した症例ではなく、劣等症状症例の吃りに悩
まされた少年に不在治療が施され、その母から全般的に著しく快くな
ったと報告している。

  此は霊癒的接触である

 雲癒家の手の下で腫瘍が消失したのはバルハム心霊研究協会のハリ
ー・エドワーズ氏の最近の治療的成功の一つである。
 一人の女が乳房内の腫瘍に対して霊癒を求めた。手に触れて見ると
約四吋の硬固な塊がある事を認め、霊癒を施した処腫瘍は胡桃大に減
小し、疼痛は全部消失。
 他の患者はニケ年問腹部腫瘍に悩まされ、それと共に頗る急激な疼
痛を起しました。患者は
              一七三頁

厳重な食餌の下に長い問入院療法をうけていた。霊癒を施した後エド
ワーズ氏は痛む部分を見つけて呉れと彼女に尋ねた。患者は手で触れ
たり押したりして疼痛が残っていないのに驚いた此の一回の治療以来、
患者の障害は再発せず常食を取っていた。
 不治の肺結核として療養所から退院させられた患者は二、三週問霊
癒をうけた。かくて同じ医院当局により胸部に検査が行はれ、医師が
言った。「今、胸部に何等の障害があるとも思はれない。」と
 麻痺に悩んでいた年高さの男(彼の手が無力だった)が眼の障害と
頭痛を訴へたが第一回霊癒後、その手を使って力を入れて物を掴む事
が出来、彼は眼と頭痛と両方の障害からも救はれた。
  今 ダンスに行く
 頗る悪性の静脈瘤に悩まされ、医師の言に従へば、静脈瘤炎にも罹
っていた一人の女は、エドワーズ氏より三回の霊癒をうけた。静脈瘤
は著しく減少した。それで医師は斯る顕著な軽快を起すためにどんな
療法をうけたかと彼女に尋ねた。静脈炎のすべての痕跡が消失した。
 治療前患者は仕事に行く事が出来なかったが第一回の霊癒後彼女は
仕事を再開する事が出来それ以来ダンスにも行った。
              一七四頁

   第十八章 統計的記録

 大戦勃発に先き立つ事正に一年、治療成績に関して頗る注意深い記
録が保存されました。
 僅か一年間の記録が利用されうるにすぎないとしても読者の諒承を
求めなければなりません。
と云ふのは治癒上の仕事をそれに関?する労作のすべてを加へた時問が、
昼間の通常の業務後の余暇に行れた奉仕だつた事を考へていただきた
いからです。
 一週間中の一定の日の夜間、午後七時から十時の問の治療会だけで
なく尚、海週土曜の休暇も亦同じ目的に使用されました。個人に対す
る返事を書き、又記録簿の各項目の下にそれぞれ記入を要する数百通
の手紙も来てました。亦患家へも訪間しました。又「ジヤツクウェー
バーの霊媒術」と云ふ著書の校正と云ふよけいな仕事も、詳細な形式
的の記録も持続する上に邪魔となりました。 記録は、結核病、腫瘍、
精神及び神経症状、骨疾患、視聴力障害、及び一般疾病と云ふ項の下
に分類されました。
              一七五頁

不在治療申込み者の多くは報告をつづけず又、全然報告しないものも
ありましたから茲に引用した数字は完全なものとは考へられません。
 個人治療のため一、二回来訪した後好果を報告した患者の或るもの
は治療を続けなかったか、又は治療による最終の結果を証言しません
でした。
 此の後の点について、多くの場合、直接又は問接に、治療が完全な
恢復を来した事が、後日になって著者の耳に届いかものがおりました。
此は数ヶ月経過後、患者の容態によっても判断されました。
 数字を呈示する前にもう一つ注目に価する条件があります。
それは霊癒家の加護を求めて来た症例の大部分が頗る重篤な進渉した
容態を呈する疾患に罹ってる患者であったと云ふ事実です。
 患者又はその親戚が医者から「治療の見込みなしと思ふ」と云はれ
た程悪くなってから霊癒家の助力を求めて来る場合が非常に多いので
す。
 処で、その数字を示せば次のようです。

 病類 全治  認む可き軽快の報告 無効 死去 報告なきもの
結核病 25%   30%     15%10%  20%
骨疾患 45%   30%     50%     20%
              一七六頁

腫  瘍50%   20%     0   0   30%
精神障害20%   36%    14%      30%
視、聴力50%   40%    35%  0   20%
一般疾生34%   32%    12%  0   22%

 リウマチスと関節炎の部類に関して進渉した容態の患者で全治を認
めたものに皆無でした。此の問題についての章に示したように可なり
著明な効果をうる事が出来ましたが、急性に悩まされた者で完全にそ
の障害を免れたものも皆無でした。発病早期の疾病は一般に軽快する
事が出来、時には永久に治癒しました。
             一七七頁

      第十九章 最後の結び

始めの章で、すべての操作はそれに適用した法則に支配された力の結
果であるとの仮定が示されました。それで他のすべてのものと同様に、
霊癒も自然の法則によりて決定されます。
 自然の法則という語の中には理学的及び形而上学的の法則の二つを
含んでます。即ちそれ等は何れも自然の法則なのです。
 霊癒は神聖な行為であり、超自然的性状のものであり、又自然の法
則を凌駕するものであるとの考へを認める人々も、どんなに不愉快で
も、特に治療霊媒によりて懇願された時、霊癒があらゆる人種と領国
の人々に起るものであると云ふ主張に当面せねばなりません。
 ローマンカトリツク教徒は、ルールドで時として起る処の治癒を、
神の干渉の結果と信じてますが、然し類似の治癒を来す処の治癒霊媒
の此等の善行を人類を誘惑するための偽装として遂行する、頗る狡猾
な悪魔の道具であると信じてます。
              一七八頁

勿論ルールドに於ける治癒と治療教会に於て起る治癒との問に何等の
差異もありません。一方が悪なれば、他方も善ではあり得ません。
同一法則に支配される操作がいづれの場合にも働いてます。人門の宗
派的信仰は治癒法則に何等の関係もありませんし、又よしんばあると
しても少いものです。かくてすべての治癒は巧妙に行はれた力の結果
した場合であると再び説いてよいのです。
霊癒を来す前に起す必要のある大切な要約について既に記述しました。
此等は治癒機能の理解へ今後近づくに際し合理的な論拠を提供します。
世界的な実証は霊癒が偶然起るものでもなし、気紛れものでもない事
を証明しました。
基本的必要条件が実施された時、霊癒が常に起り得る事を事実が証明
しました。
治療作因を祈る事を常に実行している治癒霊媒は定った儀式又は伝説
的奉仕の一部である教会の奉仕的代祷を行ふ場合よりももっと不断に
頻繁に成績をあげる事が出来ます。
 遠い昔イエスの霊癒を行った教会は、先づ霊癒を賞讃して、その力
の使用法の習得と実行とを唯々切望し歎喜す可きものと、人々は考へ
たであらう。不幸にも事実はその反対です。実際一般の輿論は宗教的
頑迷により治癒霊媒に対して偏見を抱いてゐました。
不可解に思はれませうが、教会は病人に対して教会幹部が祈る事は本
当に適当だと考へてるのに、治療霊媒による類似の祈
            一七九頁


願を悪魔の行為と見なしています。
 一七三五年の古代魔術法令の下に霊医よりの助力を求めて病人を癒
さんと試みるものは誰でも違法でした。一八二四年の浮浪者取締法の
下に霊癒家は無頼漢、浮浪者、変態性慾者と共に分類される危険かお
り、陪審員に控訴し、又裁判をうける権利もなく、入獄の略式判決を
うける傾向がありました。
 著者も亦若し自ら霊癒を申し出てれば法的訴訟手続をうける危険が
あります。その際霊と交通する陰謀の仲問となるからです。
 若し或る数の人々が霊癒の祈りのために会合して、病人を救ふ目的
で彼等の考へを語で表現すれば、彼等は更に魔法使の嫌疑をかけられ
る傾向があります。
 一九三八年癌腫法として知られた法令が政府の法案として法律にな
りました。此の法今は主として医業界により保証されました。それは
神霊主義者と他の宗派の信者をとはず、癌又は腫瘍に関して治癒の記
録を公表又は宣伝しか場合その治療霊媒に対し重い処罰を以て起訴す
可き違法行為と見なされました。新聞紙は此の法令により、斯る治癒
に関係する事は許可されません。又、或る集会、又時としては個人と
しても、本当に此れを述べてはならないのです。
 かくて発令猶予期間の此の一年、一方では法令と医業には快心の協
力がおるに反して、吾々は
             一八○頁

霊癒を妨害することを目的とする同盟があるのを発見しました。
肉体的逝去後、吾々の持続的存在を支配する法則の履行を妨げる事が
出来る以上に、治療の起るための自然の法則の操作を妨げ得る法令は
ありません。
 本書に蒐集した記録は、大英国に於ける数千の霊癒家によって達成
された治癒の最も少い部分にすぎませんが、霊癒が空想ではなく、真
実である事を実証するに足る事が望まれます。実際此れは驚く可き科
学です。
 結論として、本書が多少でも啓蒙された当局を、霊癒の潜在力とそ
の含有するすべてのものに或る注意を払ひ初める時代に少しでも近づ
かしめるなれば、本書の目的を達成したものと云へませう。
 各時代を通じて、人間は多くの驚く可き科学を発達させました。
然し彼等の誰がそれを人類の改善と進歩に対し合成的知識を利用する
ため吾々の科学者、医師その他の人々の最も熟練したものが、もっと
進歩してる肉身を捨てた智識人と協力するとき人類に開放さる可き無
限の可能性と比較する事が出来ますか。
             一八一頁


             一八二頁

                                     一八一

   第二十章 著者の自叙伝
 <<著者の氏名ヘンリー・ジェームス(ハリー)エドワーズ>>
                      (一九四四年五月)

 一八九三年ロンドンで生れウッドグリンのエルパーク学校で教育さ
れました。
 少年時代より公共の仕事に興味を示しました。十五歳の時第一少年
隊の首唱者の一人となりました。其の後自由党員として政治事務に興
味をもち、十八歳でロンドン自由党協会の書記となりました。
 世界大戦(一次)の初期に、私は初め自耳義救済残金、ウェールス
公の国際救済基金等の仕事の構成に従事しました。
 一九一四年十一月ローヤルサッセックス?隊に編入され、印度に駐
在勤務、印度で私は陸軍部隊に対する救済事業に活溌な興味をもち
ローヤルサッセックスヘラルド紙を創設編輯しました。
 一九一八年バグダットの野戦隊に任命されその結果、北西波斯に対
する労働指揮の位置で大尉の位階を得ました。
                         
             一八三頁

 東洋に滞在中、印度、ペルシヤ、イラク、クルデスタン、ルリスタ
ン、スーダに或る月日を過し、此の間に東洋の宗教を研究し、同時に
印度では或る数の印度人の家や寺を、祭日の時に訪問する特典を得ま
した。
 マラパールでオチクルトの粗野な原始的な儀式を調査し、そこで人
問が確実に獣に変化するために行ふ儀礼とかに備を僧侶が私に示しま
した。
 悪魔と虎の踊りはバンガロアの土人部落で目撃しました。
 シク寺に名誉ある客として招かれ、稀有な特典が私の調査に対して
与へられました。その時 「黄金の書(Golden Book)をうけとつて
みました。
 波斯で私は標高一三二〇〇尺のエルグエンド山頂の聖洞へ巡礼の旅
路につきました。
 ラアダンの粗暴な血醒いマホメットの祭と、もつと平和なラマザン
の儀式を二回見物しました。
 波斯にゐる間にケルマンシヤ回教寺院へ入る許可を得、その際マホ
メットの女はラマダンの儀式の肉休的苦痛で祝福されていました。
 ヅロスターの家を訪間してケリンドの拝火教徒と数日を共に過しま
した。
 ルリスタンヘ単独で旅行して山賦種族の一つの客となりました。
 古代エクバタナにエスターの墓を訪れ、叉カンガヴアーの近くの
アナイーダ寺やビジチュンとテクアイ、ブスタンの遺跡を訪れました。
             一八四頁

イラクでカーチメーンの金色塔のある回教寺院を通ってテクリトの
ムエッチンに暫く滞在しそこでマホメット信仰の一般儀式を見物す
る事迄許されました。
復員後、社会及び政治方面の事業を新しく再開しました。退役軍人
協会の実行委員となり国際連盟の分科の創始者でもありました。
一九二九年北キヤムバーウェルから議会に立候補し、一九三六年同
地から再候補しました。
キャムバーウエル平和会議の議長で極刑廃止協会の編制書記官でし
た。
一九三六年神霊主義の調査を始めました。
個人的啓発のために列席して速かに霊癒力、入神談話及び霊視等の
能力に気がつきました。
一九三八年ジャック・ウエーバー氏に会ひました。その後四ヶ月
の問にウェーバー氏は私の手配した集会へ三回訪れて来ました。
一九三八年八月ウェーバー家がロンドンヘ引き越すよう取り計っ
て私の隣家を手に入れました。二年問私は此の霊媒を後援しまし
た。その記録が「ジャック・ウエーバーの霊媒術」と云ふ著書と
して発刊されました。
ウエーバー氏が帰幽した後、問もなく私はアーノールド・クラー
ル氏に面接し此の天恵的霊媒と更に1ヶ年協力して働いた後に
「アーノルド・クラルの霊媒術」と云ふ書物で彼の研究の結果を
発表しました。
            一八五頁

 一九四○年国内守備隊に入隊し、後に任官しました。
 此の期問中も私は治療に引き続き従事しましたけれど、後年
(一九三六-三八年)に於けるようにはつづけられませんでした。
 一九四三-四四年の問ギングストン神霊治癒本部で治療の助手
として働いてました。
 私の現在(一九四四年)の希望は治療本部を設立することです。
(訳者註 此の希望は今実現されてます)それに依ってすべての
患者が霊癒を施され、又研究にも便宜が与へられませう。

附 録 (一九四五年 三月)
 一九四四年六月私の家は敵の攻撃によりて破壊されましたが、
七月の終り、私は幸巡にもエウエルで新しい家を手に入れました。
 私の家が破壊されてから一週問後に起った事件は私に深い感動
と教訓を与へました。
 多年或る男が静脈瘤とその潰瘍に悩まされてました。
三ヶ月問治療を受けてますと潰瘍は乾固し静脈瘤も可なり著しく
消散し疼痛は完全になくなりました。
 彼は非常に心配して私の仕事場へ入って来ました。
彼はこわれた家を見廻って来、それ以後の治療がうけら札るかど
うかと心配していました。
              一八六頁

 私は彼の苦悩を感じて、彼がそう思った時、此の男の治療を続
ける事は非常に重要であることを力強く意識しました。
 此の教訓は物質的損害が賠償されたよりも真の価値かあるもの
でした。
 不在治療の章の附録で記述したように、治療が以前よりももっ
ともっと遥るかに進歩した善い仕事が行はれるようになった事を
証言する数于の手紙が今手許に保管されてます。
 
       霊癒の科学 終            
                  一八七頁


 


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霊癒の科学(17) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(17)

 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳

 

しますが、身体の衰弱の為十分に健康をとり戻す事が出来ないで、或
廻らせ、それから人手を借りて階段をおりてゆきました。患者がおち
る心配があったので介添人が必要でした。それでまだ彼女自身も独り
歩きする程十分の自信をもつことが出来ませんでした。
 階段をやっとおりてゆき、両手を霊癒家の手で支へられ乍ら広問を
通ってタキシーのまつ処迄歩いてゆきました。
 其後患者から来た手紙は彼女が引きつづき良好の状態で経過してい
ると報告してきました。
 此の患者は脊柱の故障を起す以前は、経験のある看護婦でした。
それだけに彼女の手紙は価値がありました。「脊柱を取扱った手は手
技的外科医の巧妙な手であった。」と
 本章が書かれてから、もう一つ背推の霊癒の成功した症例がありま
す。患者は極めて高度の肩胛骨間の脊柱湾曲を示す婦人でした。
その結果として彼女の胸は前で曲り、一方の肩胛骨は凸隆して、湾曲
は此の肩胛骨の方へ向っていました。
 故障は十七余年以前の怪我によって起りました。此等の霊癒に際し
て著者は深い入神状態を求めたので、此の場合もそうしました。
著者はアモス嬢を助手とし、又患者の良人も列席していました。
 最初油が患者の周囲に塗擦されてから、霊癒家の指が背柱がまっす
ぐになる迄手技が行はれました。
              一五七頁

             
 その仕事は五分問以上はかからなかつたし、患者は疼痛を感じませ
んでした。
 患者が足で立つた時、まつすぐ(完全にまつすぐ)に立つ事が出来
ました。肩胛骨は本来の位置にに戻りました。かくも湾曲したまま長
い年月そのままたった背柱を疼痛もなく、かく短時問にまつすぐにす
る事が出来たとは信じ難く思はれませうがでもそれは真実なのです。
 再発は起らず、患者は霊癒家の力の証人として時々他の人々に、彼
女のまつすぐにたった背なかを示しました。脊柱に於げる斯かる手技
は、その肉体、脊髄、腺等の虚弱な組合上、多大の注意と可なり著明
か智識を要する事がわかりますのに著者はそれ等について何等の知識
をもつていません、此等の操作に要した時開は短く、第一例では数妙
その他では数分でした。此の作業は既に記録した療法とは異つた項目
の下にあるものとに見てよいでせう。此等比他の力により十中八九は
助けら札た明確な理学的手技でありました。霊癒家はどうして療法を
成就す可きかを知りませんが、然し彼の手は指導霊の支配の下に使用
されました。
 等閉にされた症例でも、此等の手技がいづれに於ても、霊癒家が直
接霊医に支配された深い入神状態におち入つていた事をもう一度此に
述べておきませう。此れは霊癒家の霊体的の心が劣勢となっている問
に霊医によって操作された霊的の心が、採用す可き行動を指示した事
を示します。
 斯く司配されてる場合に、手も指も、霊医が直接霊癒家の身体を支
配してる事を示す「加へら
             一五八頁

れた力」をうけますから、上述の説明では多分十分ではないでせう。
 上述の症例のいづれに於ても、患者は何等の疼痛も感じません。
W夫人はいいました。「彼女の背なかはしびれたやうで、手術中感
じかなかった。」と
 非常に激痛のある状態が加療された時、幾度か此の四肢又は体部
の麻酔について記述されました。此の治療法の特徴は損傷された患
部の印象をうけとって、関与する患者のその部分の意識を鈍らせ、
又患部の神経を鈍らせる、指導霊の能力を暗示します。
 一般霊癒上軽い症例の多くが調整されましたが、それ等は特に茲
で記述する必要はありません。
上述の実例は、霊医が肉身をもっ吾々地上の医師よりも、多くの智
識を保有するに相違ないと云ふ事実を実証するものと云ふだけで十
分です。
 本章を終るに先き立ち、睡眠中の手技について一言しなければな
りません。数例に於て患者が眠ってる間に脊椎に治療が施された事
実に霊癒家は注目しました。その報告の中に目立った類似点があり
ました。
 患者は就褥して眠におちました。夜問、患者は殆ど耐え難い程激
しい疼痛によって醒めました。
それは僅かに一、二秒問続いただけでした。それから疼痛は消失し
て障吉も消散したのを認めました。
             一五九頁
                      
 此の療法は墜落の際脊椎尾部を打ったために起っ脊柱の障害に悩
む三例の患者に行はれ、又他の骨の障害又は内臓変位の症例にも行
はれました。
 数年間肥大していた跚趾の関節が可なり著しく快くなった一例も
あり、その結果疼痛は消散しました。
 「アーノールド・クラーレ氏の霊媒術」に於て、ピーター(指導
霊)は骨の手技は「小さい人」の領分の中にあると述べましたが、
此の陳述に基づく智慧からはなれて、それを実証し、支持し又は確
保する実証はなかつたのです。
   附 録 (一九四五年三月)
比軟的最近に治癒した骨の畸形の実例中著明なのはG氏の場合です。
 彼は以前運動競技に従事した青年です。一九四二年頃、彼は身体
が硬直し始めたのを認め且つ可なり著しい疼痛を伴ひました。
 一層元気な生活法で病状に打ち勝つのを助長しやうと欲して近衛
隊に入隊しました。そして不満足な状態の下に書記の事務に傭はれ
疾病は増悪しました。彼は終に不治の患者として陸軍病院から退院
を命ぜられたのです。その証言は民間の医師によっても確認されま
した。此の時代に患者の脊椎骨が皆一緒に結合していました。
竹製の脊柱として知られた状態に化骨し、その後の結
             一六○頁

果、著しく駝骨となって背部は弓なりになり多大の疼痛と不快感が
あり着座にも起立にも困難を感じました。彼が著者に霊癒を求めた
数ヶの条件がありますが此処では言及しかいことにします。
個人的治療は一九四四年十一月に始まり1周回1回続けられました。
二週間目に腰椎の一つが動かせるのを認め幾週か続けているうちに
その上方の脊椎骨も弛くな
って、果ては脊柱が前後左右に曲げる事が出来るようになり、G氏
は庭へ穴を掘つたリ自転車にのって仕事がやれるやうになりました。
治旅中、著者は偉大な力が腕や指から流れ通るのに気がつきました。
半入神状熊であつた著者は自分の手から流れでるものに気がつき、
又脊椎をいぢつている時、霊医がそれをやつてるのを意識しました。
弓なりの脊柱は尚目立つていましたが、一ヶ月それをまつすぐにす
る為に特殊の努力が払はれました。著者は平生よりも一層深い入神
状態に入り、彼の手が凸出している脊柱の上に置かれた時静かに圧
迫を加へ、それに応じて脊柱骨組織全体が可動性だった様に感じま
した。
此の時から脊柱は益々まつすぐにたり今日、G氏が椅子にかけた時
肩胛骨を椅子の「よりかかり」に押しつける事が出来る程にまつす
ぐになりました。
[霊癒家が此の症例に於て成就し得た現象的成功のそれ以上の実証
は、今G氏に前方へかがんだ時、手の指でぼし跚趾にさはれるよう
になつたと云ふ事実です。
              一六一頁
   
 G氏に対する此の作業中を通じてエウルスピラー氏の霊癒能力に
より助けられた事を茲に記述しなければなりません。
              一六二頁

      第十六章 不治の患者


 霊癒は屡々医師によって絶望又は不治と見なされた不幸の人々に
対して求められます。
常にとは云ヘぬが時々それ等の症例が全治しました。又全治しない
としても、常に認む可き好果を伴ひます。例えば疼痛の減少、体力
の増加、深い眠り、一層良い食慾、全身の爽快感等です。
 次なるは著者の関与したに早期の一例を、代表します。
嬢(前々章参照)はグラパムと云う頗る悲哀な患者を著者に紹介し
ました。
その患者は恐しい疾病に悩まされていた一人の女です。その上半身、
腕も頭もすっかり肉がなくなり、腕は胸の上に組んで固定したまま
動かせず、指は固く組合せられて掴んでました。腰から下半身は腫
れて青色を呈し、足は頗る大きく長くなり下脚には青色の瘡があり
ました。此の哀れな身体の疼痛はその顔に認める事が出来ました。
皮膚は固く骨の上に引きつっていました。患者ば一ヶ年問病院にい
ましたが医師は病名をつける事が出来ず未知の微菌によるものだと
云って
             一六三頁

いたと著者に語りました。
 第一回訪問後、患者は特に一ダースの蠣が喰べたいと云ひ出して
それを喰べた程快く感じました。それ迄患者はどんなものをたべて
も皆吐いていたのです。
 幾回も訪間しました。各回の訪間中白く引きつった顔がどんなに
和らげたことか顔に少し血の気がさして来て眠りを伴つたのを認め
ました。
 その女の逝去する迄治療はつづけられ、彼女は安らかに平和にい
たみも訴えず永眠しました。
 それに次ぐ報告は一九四三年八月廿一目のサイキツク・ニュース
誌に発表されたもので、その筆者は専門医でした。かくて資格のあ
る医師が霊癒の真実なる事を認めていると云へませう。けれども英
国医学会におげる懲戒的行動を恐れるため、開業匠としては確たる
自身をもたなくては霊癒家の助力を求められないのです。

霊癒に対する医師の貢献、患者は不治の疾病から救われた。
 実地医家によりて 霊癒を認めるのは合法的か否か、私は最近此
の問題に就て弁護士に質問した。彼は答へて曰く「僕は知らぬ。
僕はすべて新法制と歩調を合せる事が出来ない。」と
此の雑誌(サイキツク・ニュース)の主筆は同様な質問に答へて次
の一文を書いた。「私は
              一六四頁

 法律の発布について全然確知しないが、然し、誰がそれを気にす
るか、私は記載されるとは思はぬ癌その他の難病の治癒を発表する
ためには終始一貫その法律を破っている。」と
 私が記述せんとする四例は癌の項目の下には入らない故、私かそ
れ等を記載する事は多分許されるであらう。私にとって此の自由の
国大英国市民が陳腐でない方法で彼等の病苦を治してならぬとか、
又其の方法で治ったらその事実を秘密に保たねばならぬと云うのは
異常な事の様に思はれる。
訳者註 英国には癌腫法と云ふ方令があって医師以外の者が癌患者
を取り扱ったり叉治した事を発表するのは違法であると認められる
やうです。
国会の一議員が指摘した様に若しイエス・キリストが今日英国に居
住して病人を治したら、彼は明らかに牢獄に抑留されるであらう。
茲にハリー・エドワーズにより治癒された四例の不治の疾患につい
て記録する。
第一例 三年前患者は鬚瘡と云ふ皮膚病に感染した。此れは手にお
へない頗る苦悩のある疾病である。戦争に従事していたため、患者
が熟練家の療法をうげ得る迄に一ヶ年の大半が過ぎた。専門家は初
診の際手遅れになったから、治癒の予想が遠のいたと患者に告げた。
私は同僚に此の症例を示した。彼は云った。
「九ヶ月問も何んにも治療をうけなかったのだから、九年
             一六五頁


の間に治ったら彼は幸せでせう。」と殆どニヶ年間、患者はロンド
ン及び地方の諸病院の皮膚科へ通った。時々一時的の軽快は認めた
げれども顔面の瘡は治らないのみか患部は徐々に増大した。
 最近四月、エドワーズ氏はその患者の治療を依頼された。約二週
後に、私が其の患者を見たとき、彼の顔はすっかり治って瘡のあっ
たあとを示す淡い瘢痕以外何も残ってなかった。
 私が見たエドワーズ氏の霊癒の他の症例同様洽癒は漸次に起って、
最初の一、二週間は僅かに軽快を認めるにすぎなかった。それから
突然痕が消敬する迄治癒機転が促進された。
 第二例 此れは巡行的体重減少、耐え難い疲労感ヂジヂリ進む健
康の悪化を訴える女子でそれに対して適当な原因を見出す事が医師
に出来なかった。医師はそれを心労と戦争に関?した栄養不良に帰
着して通常の治療を施した。けれども容熊は悪から最悪となり、患
者は歩く事も自らすすんで食事をとる事も困難になって来た。
 晩秋エドワーズに近づきとなって治療をうけ始めた。或る週間の
問何等特別の軽快も起らなかったが、クリスマスの朝患者は突然快
く感じて七面鳥と杏菓子を沢山夕飯にたべて友人たちを驚かした。
その日から断然軽快し初めて今日は健康優良となり、病中に失った
体重を二十四ポンドとりかえした。
             一六六頁


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霊癒の科学(16) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(16)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳


      第十四章 失 明 と 聾
一、二年前南ロンドンの霊癒家によりて、全然失明していた者が治さ
れた信憑してよい一例がありました。
 斯る例は稀ですが部分的失明又は失明に脅されていた症例の多数が
著しく治つてます。
 早期の症例は一九三八年南ロンドン新聞に報道されました。
 他の一例は、限科専門医に、一年半以内に一眼は失明するであらう
と宣告された少年の症例で す。患者は特殊な眼鏡を供給され、それ
でかすかに物を見る事が出来ました。視力に関して吾々に何も談され
ていなかつたが唯霊癒だけが要求されました。二、三週間後、患者は
眼鏡なしで新聞の細字もよむ事が出来て、特に眼の疲労も感じません
でした。
 他の症例は一九四〇年十月十九日のサイキツク・ニユース誌に報告
されました。次にその一
             一四七頁
       
部を転載します。

   ロンドン空襲中の霊的助力

 私は暫く国内守備隊の一員だった。私は最近他の人々と共にロンド
ン対空砲兵隊(髙射砲隊)の夜問勤務に従事していた。その際、軍曹
と他の兵卒との会話を立ぎきした。軍曹は数年問限病に悩まされ、高
価な医療をうけていたが長い問何の好果もなかつたと云っておった。
症状が複雑になつたのは汚い潰瘍が眼を犯したためであった。
 此の会話は最近のロンドン空襲中に行はれた。砲兵隊の状勢は少く
とも皆張り切っていて病気の事などかまつていられなかつたが、私は
その兵卒の眼に心を集中しかいではいられなかつた。
 私は他の夜、再び軍曹に会って「眼の共合はどんなかね」ときいた。
限の外観は異状がない様に思はれたので私は或る信念をもつてかうき
いて見た。
 彼は答へた。「貴君が私にそんな事をお尋ねになるのはおかしい、
私の限はすっかりよくなつてますでせう。」彼は過去或る期問、毎週
医療をうけるため専門家の許へ通っていた。その時、彼は云った。
「私は過去二週間治療をうけに行く事が出来ませんでしたが、それな
のに治療し
               一四八頁

ないでいた問に眼はよくなって来たのにきがついてました。」
 私はその時彼が対空砲兵隊に勤務した夜の事をおぼへてるか、又眼
がよくなり出したのはそ の時から始りはしなかったかを尋ねた。
彼は答へた。「あの夜私は潰瘍でひどく脳んでました。当然悪くなる
筈のあの一夜の勤務中に潰瘍は自然に消失して終ひました。」と
 軍曹は私がなぜその事に興味をいだくかと尋ぬた。私は彼が知らぬ
問に霊癒をやって見た事を語った。私は嘲笑されるものと思って出来
るだけいろいろの方面から説明して見た。軍曹は私に対して感謝の意
を表し、そう云う事のあると云う話をきいた事があり、又好感もいだ
いていたと語った。そして彼は家族の病人に対しても奉仕してくれと
求めていた。
 此の症例で特に注目す可き点は主訴の精確な病状を指摘しなかっか
ことです。此は稀ではあります。それで霊癒の超自然的性状を再び支
持するものです。
 此れに次いだ症例では反対な事が起りました。明確な限病に対して
霊癒が求められた症例でした。

   父が霊癒で小児を治す

 著者は不在治療を求められた時、患者に著者の心を集中している問
に軽快し始めたのを認める事が度々ありました。
              一四九頁

時々、人々は偶然彼等の病苦について著者に語りました。著者は一、
二秒問その病苫の治癒を希望して送念しました。後になってその瞬間
から微細な症状が治り初めた事屡々発見しました。
二、三日前著者の小児が針金で限の裂傷を起したため入院しました。
病院の医師は云ひました。
 「傷つかぬ方の限にまで充血が起っている程、ひどい怪我をしたのだ
から全く危かった。」と著者は翌朝眼科の専門家に見て貰う約束をし
ておきました。
 専門家が診察に来て、紺帯をとりのけて見た時、眼に何等障害の跡
も残っていませんでした。
 聾に関しては、聴力が全然失はれていた唯一例の洽癒示ありました。
然し聴力不全だけで霊癒を施した症例で好果のあったものは多数にあ
ります。
 上述全治の症例は前章で既に報告されていました。慈に比較的軽症
の二例をあげませう。第一例は次の如くバーラム・エンド・マーキユ
リー誌に報告されました。

 最も興味があったのは聾のため自分の職能をよぎなくあきらめねば
ならなかった男の症例でした。二、三週問の不在治療後、患者は全治
したので、最近再び仕事を始めたと云う便りをよこしました。
 一九四三年に一人の女が著者の仕事をしていたキソグストン本部へ
来ました。その女は殆ど
             一五○頁

聾に近く、高声で話しかけた時だけきこへるにすぎなかったので読唇
術を習はねばなりませんでした。
 治療中霊癒家はその女の背後に立っていて普通の声で話しかけまし
た。女はそれをきいて答へました。数回の試験が行はれ、声が過度に
低くすぎない限り、その女は談しかげた言葉をききわけて返答をした
でせう。治療後蓄音器を使ってその音量が調整されました。
 音量の調節が最低部に転じた時以外、その女は音楽を明瞭にきくこ
とが出来るやうになりました。
 かくて此等二つの感覚に関連して、吾々は個人及び不在の両治療法
を行って霊癒を施すことが出来ることを認めました。
 数例に於て聴力の矯正と共に或る状態を伴ひました。此は一般に耳
鳴りと呼ばれてゐる障害で、それに対して認む可き好果が得られまし
た。
             一五一頁


         第十五章 骨の畸形と其の調整

  結核の章で述べたヘッチー・ジー嬢は幼少の頃から足の畸形に悩さ
れてました。彼女は一寸一寸外科手術その他の医療をうけて、一、二
の骨が除去されていたと著者に告げました。
 足は萎縮を救うのと彼女が絶へず使用しつづげるために強く繃帯し
なければなりませんでした。
そして繃帯使用の圧迫のため彼女は絶へず痛みを感じていました。
 霊癒家は彼女の妹ダラデイスに治療を施した後、彼女は足を見てく
れと求めたので霊癒を行ひました。そのいきさつの最初の部分は、次
の見出しの下に一九三八年二月のサイキツク・ニューズ誌に掲載され
ました。

    畸形ですら霊的治療は奏効した

エドワーズが霊癒を施してる問にダラデイスの姉は、彼女の足にも霊
癒が施せるかどうかと
                        一五二頁

尋ねた。足は生誕以来畸形を呈していて、軟骨は化骨し、骨の腫瘤が
二つの趾の問に現れて激痛を起していた。
 過去に二回も手術を受けたにも拘らず、数年悶絶へずいたみつづけ
たが、彼女の生計に足が必要だったので終日使はねばならず、それは
可なり著しい苦悩を彼女に与へてゐた。
 霊癒が施されてから三日目の朝、彼女は骨の腫瘤が全然消散してそ
の部分の皮唐がたるんでるのを認めた。
 霊癒は続けられた。化骨形成も消散して、骨ははなれていた、足は
柔軟になってゐた。霊癒が施されて以来、疼痛はすっかり跡方もなく
なった。
 上述の報告が発表された後、数ヶ月問此の足の治療が続けられまし
た。外科医によって切除された骨の欠存のため当然有る可き状態とし
ては可なり常態に近い形のものとなりました。今は繃帯の必要もなく、
靴をはいた時、ねぢれや、醜い形を認める事も出来なくなりました。
畸形は消失し疼痛はなくなり、他の足と同様に使へるやうになりまし
た。戦争中、ヘッチーは自動車運転手となり、両足を使って操縦しま
した。今、彼女は結婚生活に入っていて、一九四四年彼女が著者を訪
間した特、足には全然何の異常も認められませんでした。
 趾問の骨の腫瘤が三月以内に除去されたに拘らず、主要症状の治癒
が完了するためには数ケ
             一五三頁


第十五章 忖の崎形と調整                          

月問連続的治療を要しか事に注目されませう。治療経過中、漸進的に軽
快するのが認められました。足は益々柔軟となり、骨と皮膚との間に肉
がなかった母趾球とも云う可き足の或る部分に、毎週肉の発育が認めら
れ、足の形が変りねぢれていた足はまっすぐにのびてすっかりよくなり
ました。
 かくの如く或る場合には治癒が漸進的だと云ふ事があります。霊癒家
は足に圧迫を加へたことも、骨を手でいぢったことも一度もなく、足を
両手の問に保持してる方法か行って霊医の力をして意のままに仕事をす
るやう任せよっていました。
 一九四三年にキングストン本部で次の二つ霊癒示行はれました。
 二十歳を越して問もない若いW夫人は、少女の頃から背椎骨脱臼に悩
まされていました。脱臼は外傷の結果起り、その結果患者は多大の苦痛
に悩まされました。医師と整骨医により手技(マニフレーション)が施
されました。霊癒をうける前、短時日の間、彼女は妊娠の結来起した過
労のため、症状が増悪して絶へず多大の疼痛を訴へていました。
 霊癒をうけてゐる際、彼女は長椅子の上に横たはり、彼女の母と本部
所属の他の霊癒家の助力をうけてゐました。
 著者は深い入神状態に入っていましたので、此の物語の残部は目撃者
により話されました。即
              一五四頁

曰く
 「頗る短時問の問、実際唯一秒の仕事として霊癒家の手は脱臼部の両
側で、背椎を掴んだやうに思はれた。背柱はその際皮下で、上の方へ引
き上げられる様に見へ、骨のその部分が一直線となって、背柱は常態に
復した。」と。
 此れは一九四三年に起り、現在(一九四五年三月)迄背柱はまっすぐ
になったままであり少しも痛みませんでした。患者は霊癒の後で「少し
も痛くないなんて、なんと云ふ驚く可きことでせう。」と云っていまし
た。患者の母から次の手紙がきました。
 (前略)私の娘が背柱の手当をうけてから可なり長い月口日たちまし
たので、その結果を判断することが出来ます。
 娘の故障は約十五年前の自動車事故に始りそれ以来、娘は整骨療法、
按摩等をうけましたけれど。可なり激しい背柱の疼痛に悩まされていま
した。ハリー・エドワーズ氏の霊癒をうけてから、此の長く続いた疼痛
は治りました。それで私は誠心誠意感謝と温情をこめた御礼の一文を貴
君に送らずにはいられません。」
 「私は此の奇蹟を見せていただけた事に対しても貴君に感謝いたしま
す。なんと云ふ驚異的な事実でせう。私自身の限でそれを見ていなかっ
たら、私は決してそれを信ずる事が出来なっか
             一五五頁

たでせうと思ひます。
 「娘の脊柱はそれ迄の位置から三寸以上も引き上げられました。人間
業で出来る事ではないでせう。」敬具   ジェー・ピー・ダブルユー
 同様の治癒例は中年の婦入にも起りました。背柱湾曲のために彼女は
歩く事も脚を使ふ事も出来ませんでした。此の状態は長く続いたもので
した。此の婦人は数人の小児をもち養育しなければなりま世んでした。
躰を支へるのに一定の道具を使用し、部屋中を骨を折って動くのに腕で
身体をひつぱる必要があり、此のやうに常に躰を引つぱるために、彼女
の腕も肩も身体もその筋肉が可なり著しく発達していました。
 彼女はタキシーで治療本部に連れて来られて治療室へ運ばれました。
施された療法は脊柱の手技をアモス嬢が助力した以外はダブリュー夫人
に施したものと類似していました。取扱ひ方は此の場合異っていました
。即ち湾曲の上と下の背推骨の部分は外方へ引き出されてから、湾曲が
まつすぐに圧迫されました。
 霊癒家の支配霊たる霊医は患者が起き上る迄に、暫時安臥させておく
様忠告しました。それは筋肉と組織を引つばると、再び骨を引き出す事
もあり得るからです。
 冊分間安臥しか後、患者は坐りました。霊癒家は患者を両手で軽く支
へて治療室内を数回歩き
             一五六頁


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霊癒の科学(15) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(15)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳


「私は数ケ月間入院していました。」とウライト夫人は云った。
「そして外科的方法で加療さ れ、又手術もうけました。」
「私は退院してからも或る医者にかかり不眠症に対して服薬しました。」
「私の指導霊はもう一心私の前に現れて、チャイルドパート路ゆけと
私に告げました。私は そこへゆきエドワーズさんの手枝療法をうけ
た後、私の膝の障害は完全に消失しました。永年 の問に、初めて二
階へかけ登る事、妻としての普通の多忙な生活を過す事が出来るよう
になりました。
 四肢又はその末梢に軽症リウマチスを発病した患者には個人療法が
常に疼痛状態を除去する事が出来、治療後最早や病苦のない事を患者
に確認させるため指や四肢に力を入れて見させる方がよいとすすめら
れました。
 此等の症状の治療中、霊癒家は彼によって行はれてゐる二つの機能
を意識します。特に手技を施してる時先づ霊癒家の指の強烈な震動を
見るでせう。第壱に手から可なり著しい熱が流出します。
此の熱は衣服を透して患者に感ぜられる全く異常なものです。手を患
者の衣服の表而から三四寸はなしても患者は尚熱さを感じます。
 第弐の機能は、霊癒家が患者の四肢を撫で下して、手が衣服にふれ
ている時、熱の逆効果即強
              一三七頁

い冷さを患部に感じる事があります。(それを霊癒家は気がつきませ
ん。)著者は此の熱感と冷感の意味や根源について説明する事が出来
ませんが正しく起る事は真実です。此の二つの効果を起すものが、全
然霊癒家自身の力ではない事と、此等いづれか効果を経験した後、患
者は常に認む可き好果をうける事だけは十分云ひきれます。
 時として治療中に患者の手、掌は又は足蹠に湿潤が起ります。此は
治療後(特に夜門)数日間認められるでせう。特としては足が痛くな
る事があります。此は治療後持続する症状で軽性を来すものです。
 此の最後に誌した症状は腫瘍の治療上にも認められますが相互にど
んな関係があるか、わかつていないのです。
              一三八頁

         第十三章 精神病の恢復

  諸君が期待されるかも知れぬ程に精神病者の霊癒の申込みは多くなか
っだけれど、委託された患者は三人の中二人の割合で治りました。
 茲に著者が収扱った第一例を概略述べて見ませう。一九三八年十二
月発刊のサイキツクニュース誌に報告したものです。
 家庭から他処に連れて行き檻禁しなければならなかった程に心の狂っ
た人妻に不在治療が施されました。
 快癒へ向って変化が認められました。その後問もなく彼女は平常に復
したので医師は驚いて、斯る迅速な治癒がどうして起ったかわかりませ
んでした。患者は、今良人や小児だちと共に家にいて、舞踊会へも行っ
ています。普通の幸福な家庭生活を営んでいます。
 又最近一九四四年一月には次の如き病例があります。
              一三九頁

 著者は国内守備隊の士官の一人でした。一九四三年の晩秋に、著者所
属小隊の水町が急性精神障害を起して病院に檻禁されていた二十三才の
娘について著者に話しかげました。其の迦間に兇暴な行動をした結果そ
の患者は一層厳重に檻禁される事になったと云ふのです。
 著者ははどんな約束も出来ないが、やれるだけの事はやって見てあげ
や寸りと水仙‥に返答しました。
 不在治療を開始した一週間後、担任の医師は患者が私有物をもつ事を
許した程軽快し京した。
二週間後、患者は週末を自宅で過して日曜日の午後に病院へ戻る事が許
された程、著し快方へ向ひました。
 それから引き続き軽快して、病院当局は、患者の自宅訪問を認可し、
家入と皿ハにクリスマスの日を過す事も許可しました。
 今一九四四年一月の終るに先き立ち患者は自宅に居る事を医局から許
すΛ可さ仁てます。(一九四五年三月迄再発していません。)
 第三例は一九四一年八月九日発刊サイキツク・ニュース誌に報告され
ました。

     霊癒の迅速な成績

 乱心した女に対してハリー・エドワーズに不在治療が求められた時、
迅速な効果かがち得ら
              一四○頁

れた。患者の兇暴性が増悪したため、病状が重篤になつたので、家人は
患者を入院させる手続きをとっていた。
 患者が丁度入院しやうとしてゐた頃エドワーズ氏は不在治療を施した。

  専 門 家 の 証 言

 四人の専門家が患者を診察した時、医師達は、患者が全然異常がなく
苫悩の症状もない事を認めた。此は約八週間前の出来だ。患者は要心の
ため入院してゐるけれども、乱心症状の再発を見ず、問もなく帰宅する
筈だ。
 その後約三ヵ月を経た時の手于紙に「その後何んの変りもありません。
よくなつてゐます。
としらされてきた。入院してる患者に不在治療が行われている点に注目
す可きです。
 患者の容態からして、信仰療法、意志の力又はクーエ氏の暗示等で治
つたものは考へられません。
 霊癒家は又、屡々、比較的激しくない精神薄弱者、二、三の強迫観念
をもつもの、特に沈鬱や憂鬱に悩まされてるもの等に対して霊癒を求め
られます。
上述の諸症で、個人及び不在の両治療法によりて同し様な成績があげら
れました。勿論、個入治療の主要な長所は、心理学的療法により霊癒を
助長する事が出来る事です。
              一四一頁

  
 特に不在治療による精神異常の恢復を読者は理解を越へた行為だと思
はれるでせう。だが若し前章に述べた結論を想起されれば、斯る治療が
実際に行はれうる事も言けると思ひます。
 吾々の霊体は霊の心をもち、それが肉体を指向し支配します。思想は
全然肉体の所有物ではありません。脳は吾々の意誠心に思想を翻訳する
事を許します。かくて吾々の自我(内在の吾)は霊にあります。
 霊は他の霊と波長を合す事が出来ます。
 霊的智識人(霊智者)は、吾々が言語によりて相互に交通する事が出
来ると同様にたやすく、患者の霊の心と接触するやうになると仮定して
も誤っていません。それ故霊癒家が精神錯乱の症例に助力を求められて、
それに関与し初めた時、霊智者は彼自身の活動面で、その状態に関与す
る事が出来ます。
 霊癒家の採用する療法の解説は困難でありますが次の考へはそれに役
立っでせう。
 心理学者が暗示により、心の行動、又精神運動及び指導に影響し得る
と同様に、霊癒家は患者の霊的意識に同様な療法か施す事はありませう。
かくて、即ち恐怖を除去し、確証と信頼を鼓吹する事により、乱心して
る者を新しい方向に転じ、それによって通常の精神均衡が恢復されてま
す。
              一四二頁

此の問題について最後に一言します。
 無智で悪意のある人々は「屡々、神霊主義が発狂の原因である」と非
難しますがこれは全然間違っています。神霊主義者である著者は、神霊
主義が一人の人間を狂気させた全責任を負うふ可き実例を一例でもあげ
るものに対して挑戦しますがこれ迄その挑戦に応じたものはありません。
英国の精神病委員会が発狂の原因として神霊主義の名をあげた事は一回
もありませんでした。
 此れに反して上述のように、今日霊癒の直接の結果として、多くの人
が発狂から救はれた事を示す実例は多数にあり、又尚多数の精神薄弱者
や憂欝病の患者が或種の霊癒によって元気を恢復し又は治癒されていま
す。
 医師の心を悩ます最も論争的な問題の一は心と疾病の根関々係です。
 一九四四年十月以降、不在治療による心の療法で或る重大な結果をも
たらす事が出来ました。これにより得た含意は未来の研究上宏い視野を
開きます。
 本章の初めに、霊癒がどうして乱心した者の心を均衡させるか、即ち
発狂した者を常熊に復させる事が出来たかが示されました。
 霊癒家による此の他の精神状態に及ぼす影響の相違が、今目注目され
ました。
 此の相違は次の典型的症例に於て認めめられます。
              一四三頁


 一人の男が著者に手紙を呉れました。神経質だった彼の妻は小児を連
れて北イングランドの家を捨ててロンドンに来ました。あらゆる努力を
払ったに係らず、彼は妻の足跡を躡ける事が出来ず、V-1爆弾が跳梁
するので妻の安否が最も心にかかっているとかいてありました。
 此は通常の霊癒から見て縁のないもののやうに思はれ、著者もどうし
てよいかわらないので、その事情に関係することはことわらうと初めは
思ひました。だがことわらずに一種の実験として見る事にしました。
 十目後、その良人から感謝に満ちた便りを受取りました。
 一週間以内に彼の妻は愛情をこめた手紙を彼の許に送り、遠からず二
人は再び元の鞘におさまる事になりました。
 第二だが趣を異にした症例は、飲酒に耽る男に霊癒を行って貰う事が
出来ようかと尋ねる電話が著者の許へかかった時の事でした。其の男の
行動が良くなかったため、妻はよぎなく彼を捨て去って終ひました。
 二週間以内に変化が起りました。その男と妻は再び一諸になりました。
それは今から三ヶ月以前の出来事ですが、今もってその状態に変りかあ
りません。
 飲酒癖に対して霊癒を求めた(或る症例では患者自身から)類似の症
例は多数にあり今日迄に
              一四四頁

一般に恢復しました。
 他の症例は或る一人の人妻で、彼女が自殺しようと思い詰めた程良人
及びその妹につらくあたられて不幸な生活を過していました。
 再び二、三日以内に変化が起りました。良人は注意深く親切となり、
その妹は同じ家に往んでましたけれど、彼女の不親切だつた行勁を後悔
した気持を現した手紙を彼女の許に送りました。
 薬物の慣習に悩む人々の霊癒を求めた多数の実例も亦ありました。
一人は南アフリカのような遠方の人からでした。茲ではまだはつきり成
功したと断言する事は出来ません。と云うのは恢復が永久的であるかど
うかを示すのに十分な時日が未だ経過していないからです。然し一定の
軽快が数例に認められました。
 上述の状態が変質状態で此の治療法則の範囲内に編入し得る事は明ら
かです。若し読者が人体の複雑な構造と内的即霊的の心が霊癒家からの
直接の影響を受ける事を記憶されれば、助力が実際上の議案として認め
られます。
 霊医による霊的即内的の心への影響は又順次に内的意志にも影響しま
す。内的意志が此の影響を受けるのを許す時、習性の変化が起ります。
正しい方向への霊的の心の持続的攻撃で悪癖の征服が成就されます。
              一四五頁

 心霊研究家及び特に霊的治療の研究家には、この心の均衡は霊界人の
既知の力と全く一致しています。そして確かに未来に対し、論題と活動
との広い領域を問拓します。
 著者の経験上、心の状熊は身体の健康と大概関係あるものと断言する
事が出来ます。
 胃障害、リウマチス、あらゆる種類の発作、皮膚と心臓の障害、不均
衡な神経により生ずる他の疾患、血液及び血行の疾病等は精神の緊迫、
沈欝、心労その他のある場合に増悪します。一般に霊界通信は此を告げ
ます。それで代?する問に霊癒家は屡々それを意識します。心の平静を
確保するため指向療法は常に好い成績を齎します。多くの感謝の手紙は
此を証明します。殆どすべての症例に於て、短時日の中に、肉体の改善
を伴ひます。(附言、一九四五年三月)
              一四六頁


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霊癒の科学(14) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(14)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳


てせう。
 霊癒を申込む病人には些細な病苦から、不治の難病に至るあらゆる
種類の症例があります。著者は本当にまじめに疣や雀卵斑をとって呉
れと頼まれた事があります。
 正統療法に於げると同様疾病の早期に加療し初めれば効果を来しま
すが、霊癒は尚長く持続した疾病にも好果があり、時としては全治を
来す事すらあるのが熟知されてます。
              一二七頁


          第十一章 結核

前章に結核の治った記録の第一例につき述べましたが、その後間もな
く次の例を見ました。それはC・クラデイス嬢の症例です。
 ダラデイス家は大家族の一つでその家人の多くが一九三七年の三年
間に霊癒をうけて著名な成績をあげました。その主訴は様々でしたが、
どの症例にも効果の起らなかったものはなかったのです。此れは或る
程度家族の人々は他の家族の人より霊癒に対して身体的に又は心霊的
に享受性があるやうに思はれます。
此の家族C家に関?した主訴は、奇形の足、結核、眼の白内障、麻痺、
腫瘍から腰痛その他の微恙に至る迄いろいろ数えられます。
 腰痛と白内障を除いた、どの症例でも令洽しなかったものはなかっ
たのです。
 著者によりあらゆる努力が払われたに係らず、著者の親戚の一人は
結核で他界しました。著者
              一二八頁

の親戚のもの同様、C家の人々も治療が或る効果を来す迄あまり理解
的ではなかったのです。
 C家の物語は或る夜遅く始まりました。その際グラデイースの妹の
ヘッチーが自分の姉妹のために救いを求めて来訪しました。
ヘッチーはその日神霊主義教会に出席した時霊媒がグラデイースの病
気の事を語り、評者の許へ彼女を指し向けたと云ひました。
 此の時代、著者は此の仕事を丁度始めたばかりで、一般に知られて
いなかった事にも注意を要します。それ故に著者の見知らぬ人であり
お互に未知の人であったその霊媒が、どうして霊癒家を見出すことが
出来るかをヘッチーに教えるために、昏睡状態で一定の指図をしたに
相違ないと云ふ事実は、少し不思議のやうに思はれました。
 著者にとって、その夜グラデイースを訪問するには遅すぎましたの
で、不在療法を行ひました。
その問に著者は病床上に横っている小女と病室の幻影を見ました。
此の幻影が続いている問に著者に助力が与へられ、高熱が下った様な
印象をうけました。
 翌日著者がC家へ訪問した時、不在療法を行つた時から、患者が眠
についていた事を確めました。それで次に彼女が目ざめた時、発熱状
態は既に去っていました。此の訪間中、著者は個人的治療を施しまし
た。部屋右小女も著者が幻影で見たものと同じであった小を認めまし
た。一時間後グラデイスは激しく気持が悪くなって血液と大きな塊状
の物を吐きました。彼女の両
               一二九頁

親は驚いて医者を招きました。患者を診察しか後、に者は彼女の容熊
は憂慮す可きものであると云ひ、病院へ移すにば悪くなりすぎている
からと云つで部屋を暗くして患者に絶対安静を命じました。
 ヘッチーは著者を訪問して起った事情を語り病人を来訪して呉れと
頼みました。著者はC家を訪問して、小女母に、患者は三日以内に恢
復するだらうと告げました。此が本当である事は証明されました。
五日後に著者が第三回の訪問をした時グラディスは離床して着物をき
ていました。
 その時の事でした。グラディスが著者に、彼女は最近サナトリウム
から退院しで来た事、結核に対する治療をうけていた事を語りました。
片側の肺に気胸が施され、再び空気を入れるため二三週間毎に彼女は
病院へ行く事になっていました。
 医師は此の療法ば数年に亘って持続されねばならぬであらうと彼女
に告げました。彼女は病状が自分の結婚の邪魔になるだらうと思って
困っていました。
 肺病に対する霊癒が施されて、第一回の霊癒が施された時からグラ
ディスは二度と再び気胸療法をして貰いませんでした。グラディスは
気胸療法をうけに病院へ通ひましたがもう空気を入れることが出来な
いと云はれたのです。
 第一回の霊癒は一九三七年九月に行はれました。翌年初頭グラディ
スは検査のためサナトリウ
               一三○頁

ムにゆき、その後数力月間、なぜ彼女が気胸療法をやって貰ふ事が出
来なかったかと云う理由を発見しました。
 次に医師の報告の真正の写しを揚げます。
 ロソドソ市庁保健局パークシー・オーキンガム、パイソウツトサナ
トリウム、グラデイス、C嬢、
一九三八年五月五日貴女のフイルムで私か全然申分ないと考えている
と知ったら貴女は喜びませう。現在、何等の空洞症状もありません、
貴女は著しく快くなったと私は考へます。貴女がネーランドで今後引
き続き健康に幸福に過されん事を望みます。多幸を祈って 敬具
               医務課長 エム・ホービス署名
 此の症例は一九三八年五月五日付のサイキツク・ニューズ誌に次の
ように報告されました。

 肺 結 核 治 癒 す
 一人の若い女性が重篤な胸部疾患から、七日門で恢復し、引き続い
て、肺桔咳に対しロンドン南西部バルアムの、ハリー、エドワーズ氏
の霊癒をうけている。
 肺が圧縮され、医者は更に三ヶ年の治療を要するであらうと患者に
語った。患者は毎月一回気胸療法をうけに病院へ通っていた。
              一三一頁

 三回加療後、霊癒家は患者に、「肺の患部は消散してもはや気胸は
やれまい」と告げた。患者は規則正しく気胸をつづげていたので此の
語が信じられなかった。それにも拘らず次の三回病院に行っても気胸
を行って貰へなかった。
 それでも患者は満足しなかった。患者はサナトリウムに入所を申込
んで三ヶ月間治療をうける事が出来た。サナトリウムで診査された処、
疾病のすべての痕跡迄消散して、肺は完全に治っている事が発見され
た。彼女は看護婦としてサナトリウムに採用される可否を訊ね、見習
期間の入所が許可されたのみならず、患者として滞在してる問も、奉
職する事が許された。

著者は一九四三年にグラデイズの消息がわかりました。彼女は結婚し
てクラッパムジャンクションのアデイングホップス商会の家具部で可
なりの重労備に従事していましたが病気は再発しませんでした。
 引証された上述の二例は、他の多数の症例を代表するもので、その
大多数は不在治療によって癒されました。
 すべての症例か癒されたわけではありません。報告された全治の比
率は三〇%でした。同時に
               一三二頁

残り五O%では容態がよくなり、体温は復常し著しく快方に赴いたと
報告されています。
 此等の比率を引用するに当リ、患者が霊癒家に自分の病歴について
報告する事が頗る稀れな点に留意する必要があります。
 例へば一九四三年に英国陸軍飛行隊の航空軍曹は彼の許嫁のため、
第三者を通じて著者に救いを求めました。その患者は結核でした。
軍曹は患者の事を非常に心配していました。彼の両親がその娘の健康
を理由として結婚に対し異議を云ひ立てていたからです。
 著者がその後、軍曹の次の請暇で娘にあひにいって、娘から病気が
回復してゐたのを認めたと云ふ事実を唯偶然の機会にきいただけでし
た。直接には何のしらせもうけなかったのです。
 それ故引用した比率は実際高く評価される処が、寧ろ低く評価され
ているわけです。
 六ヶ年問以土の記録上好果のあった症例では次の二つの反応があっ
た事を認めました。
 第一体温が速かに半温になった事、此れは通常不在治療を始めてか
ら二十四時門以内に起りました。
 第二患者の体重がふえて来た事。一九四三年、同時に三人の青年の
症例に関与しました。いづれも速かに恢復しました。普通の恢復より
も遥るかに迅速でした。病院の当事者の説明した通りでした。
              一三三頁
 
此等の症例中の二例では第三者から助力を求めて著者に申込んで来ま
した。その第三者と著者は親しい間柄でしたから、治癒して来た際起
る症状即体温の復常、次で体重の増加等を期待してよいと話しておく
事が出来ました。患者の病床にある体温表と、看護婦に質問して此の
観察がつづげられました。
 此等症例中二例に於て、不在治療開始当日の直後に有望な症状が認
められました。
十分恢復しなかった症例で、一定期間の不在治療の施行後早期に上述
の症状が認められました。がその後になって再発した事を知ったわけ
です。
 此は亦他の主訴にっいても同様で、一定期問著しい軽快を来したが
それがそのままつづいてゆきませんでした。
 此等の症例で、霊癒する技手は患者に助力を与える事が出来たので
すが、患者の体力が衰弱がひどくて、その恢復状態を或る期問維持す
る事が出来なかったものと見て差支へないと思ひます。
此は患者の肉体の衰弱がすべての療法の力を凌駕したものて考へられ
ます。
かかる状態の際患者は霊癒家による心霊的治療に頼るよりも先づその
肉体を支配する理学的法則の改善をはかる方がよいと思ひます。
             一三四頁

     第十二章 リウマチスと関節炎

リウマチスと関節炎に悩まされている患者は頗る多数です。此等症状
に悩まされている者は霊癒申込者中少くとも五○%と概算されます。
著者の経験上、此等の病苦の幔性状態に悩まされていた患者で全治し
たものが無かっと事を先づ云はねばなりません、此等の症状に関与す
る事は最も困難です。
 前章に慢性関節炎の患者の指の使用が漸次復常して、頸部と四肢の
関節が自由になった一例があげられてゐます。此れと類似の症例に於
ける治療は長い問整然と施されねばならず而も快復する際もそれは徐
々に起ります。
 激症で復常したものは著者の経験上皆無と云ってよいに拘らず、医
者も匙をなげる此等の癈疾に此れ迄に起った程度の徐々の快復が漸次
起る事を認めるとすれば治療学上の驚く可き貢献です。
 症状が余り深在性でない場合は比較的容易に救はれます。障害全部
を除去する事が出来ます。
             一三五頁
                           
此の語は一時症状が除去されるのを見ても多分承認されませう、患者
を追究して病気が再発したかどうかを確めるのは最も難事で、若し効
果維持の実証として再発していない事を認め得たら、大多数に於て治
癒は永久的でせう。
 著者の知ってる一例があります。
 その人は此等の症状で完全に不具者でした。その患者は女流霊癒家
の治療をうけて、現在大工と云ふ職業に従事し得る程、速かに快復し
ました。彼の指は復常し、彼の腕の運動は自由になり重い物をもち上
げたり楽に仕事加出来るやうになりました。彼の膝も亦ひどく不便を
感じない程度に自由になりました。彼はまだ完全な肩の運動が出来ま
せんが、それも徐々によくなって来てゐます。彼は霊癒をうける為可
なり遠方から毎週整然と旅行して来て引き続き治療をうげている事を
紹介してよいでせう。

他方で、膝の急性疾患に悩まされていた一女性の恢復を、南ロンドン
新聞が次の様に報告しています。
  ツーチングヘ神霊主義教会を創立せんと、ウライト夫人が決心し
たと云ふ宣言は入院治療が 失敗に帰した後に膝の疾病をハリー・エ
ドワーズ氏に治して貰つた事に続いて行はれた。
             一三六頁


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霊癒の科学(13) [心霊と人生]

                    霊癒の科学(13)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳


表にきっとのせますとその方は云い出しました。此の月曜日の夕刻の
事でした。私はその方の思念なさる時に協同して思念なさる様にと云
はれてその通りやりました。私は会合には出席しませんから当然良人
はそれにつき何も知っていませんでした。
  第一恐しい肺の悪性腫瘍につして良人に話すのは、唯さえ憂欝な彼
の精神状態に対してよい影響を与へませんから話す処か、話すことな
ぞ思ひもよらなかったのです。叉第二に良人は不可知論者ですから霊
癒なんと云う事は頭からとり上げなかったでせう。」
 「けれどもその夜の中に良人は大変快くなって来て、翌朝早く離床
し、大変具合がよくなったと云ひました。御茶を入れてのみました。
尚私が癪を起していたみを訴へた時、起きて来て私のいたみを和らけ
るためゴム製の瓶に湯を入れて呉れました。彼は別の人のように思わ
れました。最も驚く可き点は容貌の変化でした彼の限から疲れた容子
は消へてゐました。彼は火曜日の事でした。
 私は翌日良人に会ひに来る事になってゐた娘の処へ電話をかけまし
た、娘は良人の容貌の変化にびっくりしていました。週末に良人にあ
った息子も同様その変化に心を打たれていました。
「体重の減少が止り、次にはかったときは発病前と同じ重さでした。
毎日快方赴く、良人に会ふ人は誰も皆容子がよくなったと噂をしまし
た。数日間良人は他の人々より神経をたかぶらせていました。
二週問の中に体重はニポンド増加し霊癒を始めてから五週問で六ボン
ドふえました。
             一一七頁


「S医は其の問休暇で不在、霊癒開始後他の医師が私の良人を診て書
類を検査した後に云ひました。
『貴女の御主人は入院してましたね、書類に報告されてる病状と御主
人の容熊の間に非常な相違がありますが、それから判断して入院して
ゐたと云へます。』と、」
 「同じ週の間に良人はH医を訪間して復職してよいかどうかを尋ね
ました。二、三池日はいけないとはつきり云はれました。同し夜、私
はH医に会いました。H医は、私の良人が非常に快くなり心臓の具合
もよい。それで若し再び重い病苦に悩むやうなことは万々ないと思う。
が然し、御主人はあんなに神経過敏になつてるから、今すぐ復職する
事は賛成しない、だが体重の減少が止つたときいて喜んでゐる、と云
ひました。又肺の状態にっいては、もう一度X線検査をしなければな
んとも云へないと云ひました。それから、以後に良人の体重は六ポン
ドふヘました。」
 「私の良人は尚引き続き快方に赴き一週間後に再び病院へ行き、此
度H医は余り重い仕事でない軽業なら始めて見てもよいと云ひました。
一、二週問、どんな具合に感じるか試しにやつて見たらよいとこはれ
ましたが、私たちはそれは不得策だと坦つてやりませんでした。
 「昨日良人は再び病院にゆきS医に会いたいと思つたのですが、不
在で会へず、代りの医師が神経の鎮静のため何かしませうかと云ひま
した。今日良人はH医にあひに行く処です。あとだどんな報告示あつ
たかお知らせしませう。」
              一一八頁

「良人の驚く可き突然の変化か、私は神霊主義の友人の祈祷を通じて
良人に施された助けによるものと確信します。」M・L・N
 此の症例に於てその男は判然たる不可知論者でしたから信仰療法と
云ふ考を、あてはめる事は出来ないでせう。
 それから助力を求められた日のその夜の問に治癒が最も迅速に起つ
た事です。それと霊癒家は一度も患者にあつた事がなかつたのです。
 一年後N氏は手製ヴアイオリソを造る優秀な腕前について国内新聞
紙上にに好評を博しました。
一九四三年N夫人(戦争のためN氏と同伴英蘭土北部に疎問)は気分
のすぐれない良人のために助力を求めて再び著者の許へ手紙をよこし
ました。助力は与えられましたがその後病状について何の通知もあり
ませんでした。
 既述した様に此も観察のかけた一例で、こう云う症例は不幸にも余
りに多いのです。
  一九三七年にN氏は六十五才になる処でした。それ故少なくとも
六年間は一九三七年度の病状のままで生存していた事け明節に証明さ
れませう。

    S夫人の症例

 本書のもう少しさきにC家の娘たちの治療についての報告がのせて
あります。
                一一九頁

  
 C家の娘に霊癒が成功した結果、娘の一人がS夫人を訪問して貰へ
るかどうかと著者に尋ねて来ました。
 S夫人は癌で死にそうな状態で、我幔してる激痛を軽減するやう試
みてほしいと云ふのでした。
 此の患者は約五十九才の女性で相当進んだ直腸癌の症状に悩まされ
ていました。患者を診察した女医は、三週間以内に死ぬものと思って
いただきたいと親戚に宣告しました。
 当時安眠と安静を来すため毎日二回注射するために女医が招かれた
程、痛みが激しかった状態です。
 患者がその夫人の家に到着した時、女医が患者へ投薬のため見舞に
来ていました。女医が帰ったあとで著者はC嬢により患者に紹介され
ました。
 著者は家族の居間として使はれていた小い半地下室のかたすみに寝
ていました。窓は閉って空気は新鮮とは云ヘませんでした。
 その部屋には小児たちと一諾に患者の良人もいました。彼は確かに
手細工職でした。
 患者もその家族も全然霊癒にもその意味にも気をとめていませんで
した。此の症例以上に気の合はなかった状態は殆と想像する事も出来
ません。全然未知の人である著者は半意識状態の女の病床のかたはら
に座りましたが、そこにゐたすべての人々の問には緊迫したよそよそ
しい感があ
            一二〇頁

りました。著者は数分問祈祷した後、患者の手をとり、出来るだけ治
癒の思念を患者に指しむけた後、そこを辞去しました。
 著者が、疼痛状態が軽くなる事だげを希望し得るのが精々だと思っ
た程に癌腫は進んでました。
 著者が患家へつく迄に一時問も旅行する必要がありましたので、病
室内の友情のない状態、そこにいた人々の冷淡な態度(彼が患者の手
を握ってゐた短い時間内)は時間の浪費の様に思はれて内心後悔して
いた事を告白します。
 その夜と翌日、直腸から多量の排泄がありました。疼痛はすっかり
止み、女医はそれ以上注射は必要がないと云ひました。食慾も普通に
戻って来ました。此の場合も亦癌腫の除去が迅速で、腫瘍は数時間内
で消失しました。
 著者は約十日後に再度訪問しました。患者は地方の看護婦に洗って
貰うのは好まないから日頃自分でやるので疲れて了ったと訴へ乍ら病
床上に坐ってゐました。
 それから短時日の中に離床して家事に従事しました。
 著者は此の症例の証明された記録がほしくなったので、その詳細と
女医の姓名等を人手する事をC嬢に頼みました。C嬢が報告を人手し
やうと試みた時、稍滑稽な返事が患者から送られました。
「あの若僧は自分が何かしたと云ふの、唯二回来ただげよ。」
と此は確証的資料を集める際
             一二一頁
       

経験する困難の典型的実例です。その結末として、女医は快復を説明
するため、癌腫がこんな具合に恢復する事はあり得ないだろうから、
誤診だったに相違ないと患者に云ったそうです。
 かくて吾々はN氏には不在治療による治癒を、S夫人では多分個人
治療による治癒を認めました。
 もう一人の女の患者ハイゲートの患家を訪問しか際、右胸に進んだ
癌腫症状を示していました。患者の苦悩がひどくて眠る事も食事を取
る事も出来ませんでした。
 著者が施療した時、患者は静かな眠に入りました。日ざめた時、患
者は痛みの止っているのを認め、その後眠る事が出来、又よく喰べる
様にたりました。彼女は二三日後非常に安らかに永眠しました。
 帰幽に先き立ち疼痛の中絶、睡眠と食慾の恢復と云ふ類似は癌腫に
施した不在治療の或るものによく見る徴候です。此等は霊癒家がよく
耳にする癌腫患者の症状緩解です。
 可なり多くの他型の腫瘍や嚢腫に関係しか症例がありました。
女に頻発する状態は乳房の腫瘤です。
 個人治療の可能な時、霊癒家はその右手を腫瘤のあたりにおきます。
その時彼は腕から指へ振動が脈を打ってゆくのを意識します。時とし
てに手も腕も激しく振動するのが見へ、叉時としてはその結果、腕や
指がうづくようにいたみます。
             一二二頁


常に塊が軟化して来ます。硬い塊の場合は軟らかでグニャグニャとな
り、大きさが減じます。
大きさが目に見へる程減少するには数回の治療を要しますが、若し治
療を継統すれば、時として腫瘍は完全に消失します。
 上述の一節は長く持続した頑固な状態に関したもので、塊又は腫物
が新しい時、それは屡々数分問の治療中に霊癒家の指の下で完全に消
失します。それはとけて消散する様に思はれ、多くの場合再発しませ
ん。
 著者の治療成績を研究した南ロンドン新聞紙の報道は此の点を説明
し、次の報告が発表されました。
 一人の母が、墜落の結果、鶏卵大の硬い塊が腕に出来たと云ふ娘を
連れて治療をうけに来ました。霊癒家は指を塊の上に置きました。
塊は二三秒の中に完全に消散して再発しませんでした。
 同し研究家は亦発表しました。
 内臓の悪性腫瘍のあらゆる症状を呈した母に、不在治療を施してほ
しいと云って若い女が尋ねて来ました。一日のうちに大に軽快しまし
た。一週即後その娘が「あらゆる症状が消へ失せた私の母はずつと健
康になりました」と云ふ便りをよこしました。
 不在治療の章下に引証した症例報告は、癌療法の特性に対して支持
的な証拠を提供します。
             一二三頁

 


 疾患が内臓腫瘍と述べられたもので、治癒した多数の症例がありま
した。霊癒家は何が障害であったかについて多少患者の陳述を承認せ
ねばならぬ事を読者は認めるでせう。
 霊癒家は、患者を綿密に質問させる程の医学的智識をもったり、又
陳述を確証す可き方策は取りませんでした。
それ故、かかる際に「私に入院して腫瘍を切除する様、医者が勧めて
ます」と、患者が語る時、霊癒家はその陳述を真実なりとして承認す
る外に方法かありません。斯る物語が真実でないとしたら患者が治療
を受けに来る意味もないのです。
 治療は施されますが、患者の病院通ひを思ひ止まらせる様な企図が
行はれた事はありません。霊癒が施された時、腫瘍は屡々消失し、手
術は行はれず、最終のX線は陰性成績を示しました。
 彼の記録の公けな支持を得る事は俗人たる霊癒家にとって容易では
ありません。病院の御偉ら方は必要な支持的資料を提供しないでせう。
 患者の昵近の人達すら蠣の様に頑固な病院の偉い人たちから、多く
の報告を手に入れる可能性が稀である事もよく知られた事実です。
 引用した腫瘍への療法で、通常起る事は、患者が主訴即腫脹、塊り、
疼痛及び引っぱられる感覚等の症状を経験する以外は、医者が患者に
語った限られた報告だけを知るにすぎない事です。
 霊癒が施療さ札た症例の大多数に於て、症状の減少叉は消散がある
と云ふ事は出来ます。
              一二四頁

一九四三年の暮に女の患者が腫瘍に対して霊癒をうけました。以前彼
女は数回手術をうけて大きな重い腫瘍が切除されました。此の場合に
治療後症状は減少しました。今度手術をうけた時、期待された可なり
大きな重い腫瘍代りに非常に縮少して密柑大のものが発見されたにす
ぎませんでした。
 癌腫その他の腫瘍の霊癒に伴うその他の症状は末梢即ち手、特に足
の発汗過多です。時として一時足が痛くなって来る事があります。
此れが起った時、障害が除去されているか、或は除去されて終った事
の最も明確な徴候であるものとして認められました。不必要な物質が
斯る形で体外に送り出されることを意味します。
 ピーターは癌腫はその原因が霊体の中にあると云ひました。
此の言葉は科学的には証明か出来ませんが、此れ迄癌の原因が理学的
に追及されていない事にも注意するのが適切です。医学療法は唯既存
状態のみに関与します。ピーターの論旨を支持する実証としてまた次
の事実があります。それは治癒が起る時は頗る迅速で関節炎其の他の
長時持続する疾病よりも容易に霊界の技手によりて関与されている事
を示す点です。
 此は霊癒が最初霊体で行はれて癌の原因の除去と共に癌は迅速に破
潰し肉体から消散する事を意味します。
 癌腫が腸内にある時、排泄系統よりの異常分泌が認められます。
此等の分泌物は黒色であるの
             一二五頁

 

を特徴と報告されています。若し癌が喉頭にあれば、物質の塊が吐き
出されます。腫瘍が取扱はれる他の方法もあります。
 分泌物は治癒が問始されてから通常二、三時問以内に続いて起りま
す。
 前章に記述しましたやうに、最後の看過してはならぬ点は物理現象
の天恵を保有する霊媒によって、原子的物質を生産する事が出来るこ
と、又既に証明した様に、生産した物資を再び原始エーテル力に還元
する事が出来る事です。霊界の技手はかくて癌腫の原子的形成を変化
する事も出来るのです。
 交霊会の部屋で物体を引きよせる事が出来ます。即ち固形物が遠隔
の場所から運ばれて霊媒の接触によって再び物質化します。
 科学者は未だ物品引き寄せの真実性を認識するを躊躇していますけ
れど(エクトプラズマも)物品引き寄せの事実を支持する実証の重要
さは今日一般に承認されています。
 物品引きせの操作上、物体の物理的構成々分は遠距離を越へて瞬問
的に輸送され得るよう変形されて壁のような固い物質も通過します。
此は霊界技手が物質の基本的構成を変化する能力に関して更に一層進
歩している証拠です。それ故若し癌がかく処理され得るとしたらその
腫瘍の迅速な除去または人体の排泄器系即汗腺等を通過せしめうる、
その物質的構成に於ける変化を説明する
            一二六頁

 


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霊癒の科学(12) [心霊と人生]

                    霊癒の科学(12)

 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳

れました。
 十一月以降、治癒率は三・三五%から疾病の種類によって八五・九
%に増加したのを認めました。
此の認む可き増加がサイキツク・ニューズ誌で報告され、その結果申
込が可なり著しく増加しました。
 一九四五年二月、一週間中に関与した手紙が五百通の多きに対し尚
増加していました。此は著者が昼間の職業をつづけてますから、此等
すべての治療操作は夜間に行はねばならず仕事の書記的方面lを巧く
取扱うため秘書係を雇はねばならなかった事を意味します。
 手紙は最初霊癒家がよんで必要な部分の下に線が引かれ、患者に関
する状態が心霊学的に取る戻され、その返事が速記者によって書取ら
れました。
 かくて霊癒家は斧各症例の完全な心的描写を有します。心的描与は
精確な事が重要です。病状の病歴も留意されねばなりません。進展さ
れた、著名な症状は尚、霊癒家が霊医からうける内的智識に加って存
在します。
 患省に対する霊癒家の祈りの問に上述のすべては、彼の心に潜在的
に存在し、指向治癒が行はれるよう要求として霊医に交付する事が出
来ます。
 此の祈りの問にこれからの後の治療経過と疾病の原因を示す報告を
屡々うけとりました。
               一〇七頁

 患者の心と病気との関係は、不均衡の心に関する章の附録で述べま
すが、皮膚病、胃障害、心臓障害、リウマチス、癲癇のやうな病苦で
患者の心の平滑な働きと恢復の進行との問に、はっきりした関係があ
ると此処で云っておいてよいのです。
 例へば申込書の多数の皮膚病に対する治癒としてうけ取れました。
全体として優秀な成績があがりました。すべての症例に於て精神的緊
張状態がありました。それで霊癒家の第一の仕事は心を穏かにしっか
りさせる事です。此れが成就されるや全身状態が強まり、血液の均衡
がとれて恢復を来しました。第一に怒赤が減じ次いで患部が小さくな
り、新らしいきれいな皮膚となり、班点がすっかりなくなる様になり
ました。
 最後に毎週の治癒の進捗を監視して、常に治癒が二つの様相を呈す
る事を認めました。
 第一の様相に於て一般身体状態の改善は、多大の活力と前より健康
な眠りとによって示され、又内的挙揚は一層幸福な爽快を起していま
す患者は第一週に此をしらせたくて手紙を書いてます。
 それは彼が頗る快く感ずる様になる迄累進的に続けられます。それ
から第二の様相が始ります。
その期間に病苦の初発原因の除去を見、其の結果病苦の症状であった
疼痛、硬直等の減少叉は除去か来します。第一と第二の様相の結果が
疾病の性状に従って同時に見られる事も屡々発見しました。
              一〇八頁

同様に良い成績は彼等のために療法が求められていた事を少しも知ら
なかった第三者によりて受けられている事もあります。
 次の附録に発表された意見、それは一九四四年十二月二日のサイキ
ツク・ニューズ誌で発表されたものです。

 霊媒は此等の患者の知らぬ間に治した

 五人はサーリー県エウエルのハリー・エドワーズにより施された不
在治療により癒された。
面も誰もそれが起つていた事を知らず、治療の行はれていた最中それ
に気がついた患者は一人もありませんでした。
 多数の人々は不在治療に調子を合わせる様求められる特、緊張して
期待的となるがそれは好ましい状態ではないとエドワーズ氏は主張し
てます。エドワーズ氏は曰く、「此等の治癒は信仰の結果であり得な
いし、叉患者の意志の力の訓練によって快くなるための患者の決心の
実行でもあり得ない事も亦明かです。」と。
 治癒の智識の進歩して肉身を脱した人の心により、人間には未知の
自然治癒力の支配と投与を通じてのみ成就する事が出来るであろう故
に此等は人間死後生存の法則の実在性についての
              一○九頁

証拠である。
 第一例は神霊主義的同情から一人の友人のために手紙か出した一人
の女性であった。
患者は乳房癌に悩まされていた。友人は書いた「その方は本当に悪い
のです。病院の御医者は治療の望はなく匙をなげている様に見へまし
た。」患者は既に一側の乳房を切除していて他側へはラヂウム療法を
うげていた。
 患者は働き初めた エドワーズ氏は九月十九日に治療を開始して一
週間後に此の手紙を受け取った。
 「患者が数週間家にいた後、此の月曜日から仕事を始めたと御しら
せする時、貴君が、私と一諸に喜んで下さるのがわかります。」
 「患者の唯一つの悩みはラヂウムを使用された腕の下の処がひどく
痛む様です。食慾は恢復しましたし、もう少しも胸苫しさはありませ
ん。以前は食事をした後問もなく食べた物をもどしてしまつたのに健
康がすつかりよく恢復したのを病院の信用の種にしやうとしてますが
、貴君も私もそれに同意しやうとは思ひません。」
 療法はつづけられ、霊癒家は腕の下の疼痛状態についての報告を求
めた。腕は非常に濡れてるとの事であった、霊癒家の経験上、癌が時
として発汗として身体から排泄される。一週間後
              一一O頁

(十月四日)次の手紙か受けとつた。
 「某嬢は頗る爽快を感じています。腕の下の痛みと湿りは消えて、
新らしい肉が発生し初めています。貴君が最初に彼女を治療し初めた
頃から湿潤が始つたに相違ないと私は思います。某嬢は今病院通ひ
をやめています。」
 医師が失敗した 一人の母が開放性の下脚の傷をもつ若い小児のた
め手紙をよこした「医者が治療してくれても少しも治りません。」と
。一週回後、その母は小児の脚が、申込んだ第一日から転快し初めて
立派に治って来たと知らせてよこした。尚一週問を経て報告があった。
「足は全く治って、健康は益々増進しているやうに思はれます。」貴
君の御助力に感謝します。
 一人の男が手紙をよこした。「私は七十年に亘って元気に過したが
ひどい聾だ地球上に医者で私を助けて呉れる事の出来るものは一人も
ない、今私の唯一の希望は貴君の不在洽療だけだ。」
 十一日後に彼は便りをよこした。「私は既に好果を得たと云う事が
出来ます。私は比較的よくきこえてきました。」次の週問、重ねて彼
は手紙をよこした。 「私は一日一日と益々聴力が恢復してきます。
十二年以上も聾に悩まされた掲句です。私かどんなに喜んでるか貴君
におわかりでしやう。七十二歳ですから、私は再びすっかりきこえる
様になると思っています。」と。
               一一一頁

一人の若い女は小児の時から乾癬に悩まされていた。彼女の許婚が彼
女の為めに助けを求め次のような手紙をよこした。
 「医者は新薬を使用したが全々効果がなかった。彼女はひどく憂鬱
に感じている。これ迄ずつと此の病気に悩んでいた彼女も今のやうに
悪いことはなかった。吾々は遠からず結婚したいと思っている。」
十五日後に再び便りに接した。
 「君が吾々にどんな幸福と希望をもたらしたか、どう談し初めたら
いいかわからない。驚く程快くなった此の長い年月悪かった後で、彼
女の皮膚が本当にきれいになる事なぞ夢にも信じられなかつたのに。」
 奇蹟的変化 「僕が手紙を出した時、彼女の身体の大部分は怒った
様な赤さで蔽われていた。
彼女の神経がひどく犯さ礼た程悪かった。君に手紙を出して以来の変
化は全く奇跡というより外に言葉がなかった。怒赤は完全に消散した。
各患部の表面には新しい皮膚が現れてるのを見ることが出来た。常に
金平糖のかけらの様に床の上におちてた皮膚の乾いた薄片という症状
は今少しもない。彼女は小児の時から此の皮膚病に悩み、多くの医者
にかかつたが未だ且つて医者は彼女を治す事が出来なかった。それ故
今彼女がどんなに幸福であるか想像が出来やう。」
             一一二頁

心の狂つた女の為めに助力が求められた。彼女は殆んどIヶ年間病院
にいた。
 十一日で その症例を承けてエドワーズは、彼女は問もなく仮に家
庭に帰されるであろうと云った。十一日後の一本の手紙をうけとつた。
それに述べて曰く、「彼女は確かに少し快いように心は壮大。医者は
土曜日と日曜日に彼女が自宅にいてよいとの許可を吾々に与えた。
 次の報告はそれから一週間目に屈いた。曰く、「私は貴君にお知ら
せするのを非常に喜びます。先週末彼女は帰宅しました。催かによく
なっています。働作も益々敏速になって全体として本当に快く幸福そ
うに見えます。」
引証した症例に於て効果を来すに必要の期間は一乃至三週門であった。
彼等の全部に於いて認む可き軽快は治療の第一日から認められた。
               一一三頁


第十章 癌とその他の腫瘍の治療

 記録とそれについての批判上、著者は殆んど医学的智識がないから、
使用語になれた医師の心には幼稚なゴタゴタしたものと思はわるでせう。
著者は自分の心の中の特殊な智識が、霊人の診断及びそれに伴う療法を
潜在意識的に妨害するかも知れぬのを恐れる故、故意に専門的智識を得
る事を差控へました。
 此の章と次の章でそれぞれ治癒の状況を説明するため一、二の選択し
た症例だけを記述しました。
 出来る場合は二例をあげました。その一例は個人治療、他は不在治療
によるものです。
 それ等は各の項目の下に大部分の治療の定型的のものとして採用され
ます。それ以上多く反復発表するのは徒らに読者を煩はせるだけだと思
います。
 直接霊癒によるものと見なす事が出来る確証のある癌腫症状の治癒に
つき可なり多くのものが
               一一四頁

記録されました。ダブルユー・パリッシュ氏は彼の妻を治癒するための
仲介たる特典を与えられて、その詳細か発表され又、他の霊癒家による
治癒の症例も時々サイキック誌上に記載されいました。
 著者が仲介となって治癒した二例を茲に引証しませう。
それは一九三に年八月に起ったN氏の場介で著者にとり最も早期の症例
の一つです。
 次に掲げたのNは氏に施された治療に関して一九三七年八月六日に著
者が受収ったN夫人からの著者宛の手紙の複写です。
 「私の良人は健康不良で、流感発病後、余り早く仕事に復職したため
身体を損ねて、流感が治つてからもある期問衰弱のため家にいたのが再
び、余り遠く後職しすぎたのです。衰弱、胃腸障害、眩暈、体重の持続
的減少等に悩まされて、よぎなく又仕事を止めねばならなくなりました。」
 「H医に見て貰いました処、X線診断をうけるやうすすめられました。
胃は変りがありませんが心臓の状態がよくない事が発見されました。
S医は専門家で、H医はS医の許に私の良人を送って、尚その上、胸と
心臓の検査をうける事をすすめました。それは次週にやる事に打合わさ
れて、胸のX線写真と心動図表が撮影され、それから一週間後、再び心
動図と胸部のX線検査が行はれました。S医は長時問に発病したものと
は思はないが心臓症状かあり、その上右肺に癌腫のある
              一一五頁
 
事をH医に報告しました。」
「私は良人の目の前でH医に面会する先きに常に私だけでH医を訪間す
る事にしていました。
H医は私か面会にいつた事を歓んで、S医からの報告の内容については、
勿論私の良人には談さないがと云って私にそれを読んでくれた上でこう
云いました。『貴女の良人は重い病人です。僕は貴女が良人に入院する
事をすすめていただきたい。僕は出来るだげの事をやって見たいと思い
ます。若しそれで何もやる事が出来なかつたら自宅へ連れて帰って出来
るだげ慰めてあげるんですネ』と。私の良人は近頃非常に衰弱して具合
が悪そうですが床についてはいません、ジリジリ休重が減っています。」
「私は非常に不安でした。日曜日の夜神霊教会の前を通り、内に入りた
くて、いても立つてもたまらなくなりました。講演者は私の知っていた
方ですが、二、三年お会いしなかつた方であるのを発見して意外に思い
ました。」
「次の週問買物に行った先きでその講演者に会つてびつくりしました。
御会いするつもりでいったわけでなく唯平生通りの用事があってその店
に人つたのでした。その方は私の家族の事を尋ねました。その方の若い
時に私の家族の事を御存じでした。私は良人の病気の事、私たちが非常
に悲観していること。どんなに私か不幸になつたかをその方に話しまし
た。私の良人を次回の治療
              一一六頁


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霊癒の科学(11) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(11)

 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳

 診断が確められてから療法の適用となりませう。療法は今日吾々が
霊癒線(Healing Rays)又ぱ宇宙力(Comic forces)と云う言葉でばく然
と説き得るにすぎないものです。
 個人的即ち接触法に於て、いかにして霊癒家の身体が、肉体の病状を
除去する上に、線又は力の伝達の媒体として使はれるかが示されました。
不在治療では斯る器具を使うことは出来ません。
 それ故多分次の臆説即施された治療法は患者の霊体及び幽体を通じて
肉体に応用されると云うのが安全でしょう。
 純然たる肉体の不調和が霊体に反映するやうに、医療による肉体の不
調和の消火なども霊体に於ける状態を消散します。それと逆に指導霊は
肉体から不調和を消散させる事が出来るから、それで肉体からも除去す
ることが出来るのです。
 上述のやうな事実があるにも係らず、霊癒家は直接肉体に影響を及ぼ
しうるものと信ず可き理由があります。此を行う一つの法は心臓作用に
よるものです。此の一例は不在治療による難治の皮膚病の症例の治験報
告に発見されます。此の症例に於ける病苦は血液の病的状能に帰因され
ました。
 然らば指導霊はどうしてこんな治癒を起す事が出来たでしょうか。
指導霊が一般に心臓作用に影響を及す事が出来るのを知ってます。
昏睡状態に此れを証明します。昏睡状態に達するには、変更した呼吸と
心動の率によって、身体の律動をかえねばなりませ
                 九六頁

ん。完全昏睡の場合には此は屡々認められます。特に侵来する霊人が霊
媒の身体を直接支配下におく時これを認めます。
 それ故に吾々は血行を取扱う指導霊の能力を認めねばならぬやうに、
霊医は血液を純化する。
 例えば皮膚病の原因を除くに必要な、どんな調整でも行うことが出来
るものと見倣すと主張する事が出来ます。
 引証した症例に於て、霊医の肉体の血行における仕事に加ふるに、治
療は霊体の血液の純化に指向され、それによって肉体に反映す可き反応
を起す事になるようです。
 此は此の症例に於て起った事の説明として提言されませんが、単に霊
医が及し得る影響についての智識に基く作用の存在しうる課程を示すも
のです。
 不在治療で、叉実際すべての他型の霊癒上、治療霊媒側に於て避けな
ければならぬ一つの心の状態があります。でそれは出鮎目です。頻回奉
仕してるどの霊癒家も非常にたやすく此の誤りに陥ちるものです。
 思想の価値の多大の重要さが力説されました。そして此の関係上霊癒
家は、時として分りきっと当然の事だと思い易いのです。
 此の出鮎目は、(奇妙に思はれませうが)霊的助力が当然の事として
期待される時、神霊主義
                    九七頁

者と、霊癒家自身に於いて恐らく最大でせう。発達した地的の霊癒家で、
指導霊は不調和に留意してる筈で自働的にそれを矯正するであろうほど
に身近にいると云う論旨が使はれます。同一の論旨は霊媒の親友及び親
戚の為に使われます。指導霊は彼等自身の手始めに病気等を矯正するだ
ろうと思はれました。
 著者は多数の斯る実例に出会いました。
有名な実例は「アーノルド・クラレ氏の霊媒術」と云う書物に引用され
てます。此の症例に於て、クラレ夫人は危急の病にかかり重篤の状態と
なりました。何故外観上何も行われていなかったのですかと最後に指導
霊に質問した時、指導霊は答えました。
「吾々は求められていなかった。」と。
その夜クラレ氏が昏睡している問に助力を求め、外見上の奇蹟か起りま
した。次の一、二時間以内に治療は明白となり、翌朝クラレ夫人は離床
しました。彼女を石膏で包み囲むために地方の病院へむけ特に旅行中で
あった倫敦病院の専門家を夫人白身で歓待する事が出来ました。
 経験上、出鱈目をやってる処では治療の起る事が稀なのが屡々示され
ました。
看過してならぬ点は、患者(又は第三者)による助力を求める思想放出
が、第一に施さる可き療法に対し必要な霊的連鎖を提供するであろう可
能性です。此は一般にそうではありませんが可能性はな在します。で、
それは患者の快癒に対する同情的思想で、霊癒力を無意識によび起して
                 九八頁

いる医師、僧侶又は友人等の思念欲望の結果として霊識されぬ霊癒が何
故に得られるかを説明するでせう。
 勿論かくして得た治療の範囲を測定する方法は、治療霊媒が奉仕に招
かれた場合と同様に皆無です。斯る際、期待する患者は又はその友人に
よりて観察がつづけられます。それで若し、彼等が陽性(+)と陰性
(-)とを問わず、霊癒家の許に成績を報告すれば、霊癒家はその結果
を記録帳へ記入する事が出来ます。成功の確認は霊癒家が患者に関与し
た、その実際の瞬間から屡々時で測定されます。
 それ故一般の実地上治療霊媒の奉仕が必要です。霊癒家は霊医と波長
を合わせる能力をもつてます。
 それがどんな治療が行われるのにも第一の要素です。
吾々は既に霊医が患者に接触する態度について略述しました。此の問題
をもう少し多く観察するのは有益でせう。
 霊的旅行の可能性に真に当面するため、吾々は心から吾々の理学的世
界の限界を離去しなければなりません。専門家が遠隔地の患者の許に往
診する際、彼はその町迄或る種の輸送機関を使いそれから町を探し出し
てから家族も探さねばなりません、吾々の此の困難は明らかに霊界の智
識人(霊智者)には適用されません。
               九九頁
        
 科学的実験は二名の人問の問(例へば一人は倫敦に他の一人はマンチ
ェスター)に組織された遠感的交通の実在を証明しました。此等の実験
は思想の伝達と享受が此の二名の人間の問に於て可能である事を証明し
ました。
 どうして霊癒家が霊的旅行に従事する事が出来るかは既述しました。
此が起った時、空間を旋回すると云う感じはありません。幻像は全然自
然に、何の前ぶれもなしに霊癒家の意識の中へ入ってきます。
 遠感術の場合、二つの思想力が或る距離をはなれて相互に求めていま
す。類似の事情は時として不在洽療にも適用されませう。患者は霊癒家
が、彼のために祈る時問を知ってます。それで若し患者が此の時間にに
連絡しやうと努めれば類似の事情があるのです。
 然しそこに著名な差違があります。即遠感術の実験では幻像がなく、
唯観念又は思想の享受だけがあります、此は附加的要因即霊性又は心霊
的性状の必要なる事を含みます。
 享受性の一端(患者の方)にとって思想上霊癒家のものと活溌に達絡
す可き事は必要がありません。霊的旅行は患者の方から協力が無い時に
屡々起るからです。
 此の章で前に引証した症例、即ち著者がイングランド北部の小児の動
静をその父に述べる事が出来た場合に於て、遠隔してる家から放散して
作用する思想力は無かったが霊癒家の意識は容易
              一〇〇頁

にそこ迄旅行する事が出来ました。かくて未端的に波長を合わせる二つ
の肉休的思想の存在は必要がないのです。
 それ故もし霊家の霊的自我(その肉休との密接な共伴によって限局さ
れた)が、かく遠方の予め定めた接触点を求め事が出来るとしたら、一
層利巧で自由な壮言ヤ者が更に容穏に定められた接触点を探し出す事を
邪魔するような理由があり得ないし、距離は勿論考慮するに足らないの
です。
 人間は彼の科学的智識を応用して、倫敦の甲某は彼の家の電話で短時
間中に紐育のZ君を尋ねて通訳する事が川来るし乙君も亦甲某と通話の
仕度をします。僅数十年前には、此の事がなんと云う奇跡だったでせう。
それでも尚霊界の領域に於ける霊的思想の旅行と云う自然の機能に比較
したら、人間の機構はなんと云う未熟な面倒なものでせう。
 入間のあらゆる経験、あらゆる印象、慾望の満足、失望等は精神的認
識であり、視覚も触覚も味覚も視覚もそうであり、損傷した部分に記録
されず肉体にのみ記録される疼痛も亦そうであり
ます。
 見当違いの事として形而上学で適用する思想作用を考える事は止めや
うではありませんか。
吾々はたった今、人問のあらゆる経験は思想認識だと云ひました。それ
故霊医が行動に影響す
                一〇一頁

るため同一の思想潜在力を使う事が出来て、それによって不調和を廃除
するといふ事は非常に非現実ではありませんか。
 精神運動の結果として、人間は機械装置により自然力(磁力、電力等)
を、過去の時代の学者には考へられなかった、幻想として現れたであら
うような方法で指向する事が出来ます。
 かくて肉身を脱した智識人が人間媒介を通じて、他の自然力を操って
肉体の病的状態を除去する事が出来るという事実に関して提出されたす
べての実証に当面して、誰がそれを否定する程に自惚れて愚かでゐられ
るでせう。
 歴史全般に於てすべての新思想、あらゆる新提案や新哲学は、古いも
のと戦はねばなりませんでした。古い観念が法律、教会、医業等のいづ
れかにより附与さ牡た利宍関係、嫉妬深く守られた伝説と利古主義と経
済的企図によって防禦される時、永久にそれを過少視し、嘲弄し、避難
する大衆がありました。然し彼等の哀愁は新しいものが正しくて実証的
である特に決してひろがりませんでした。
霊癒の真実性も他日そうなるに相違ありません。
                 一○二頁

一九四四年六月二個の爆弾が著者の家を壊しました疎開中又その後、新
しい家におちついて著しい治療の特徴が認められました。
 一九四四年六月以前、著者は患者のために祈りをする時、患者と思念
の連絡をするため、時問の打合せをしておきました。
 上述の騒ぎの問に不在治療のために規則正しく着座するのを妨げられ、
打ち合せた時問の約束も守れませんでした。著者は事情の許す限り祈り
をつづけました。
 著者はそれにより治療能力が混乱されたものと予期していましたが驚
いた事に、他のいかなる場合よりも此の期間に治療効果が進渉している
のを発見しました。
 此の状態につきなぜかうなったかを考える場合が与えられ、解決が見
出されました。
 実際、その解決は既知の知慧の把握の中に常に存在していたのが認め
られなかったのでした。
その含意は遠大で一般の不在治療の普遍的技術に影響するでせう。
 霊癒家と患者の問の打ち合せは、過去の或る期問、不在治療実施上の
言い伝えでした。多くの霊癒家が此の方法を採用しました。著者も普通
の言ひ伝へに従っていました。特に時問の打ち合せについて尋ねた多く
の患者は皆それを知っていましたから。
 著者は自分できめた時間の指定を遂行することが出来なかった時一層
偉大な治療成績をあげた事実を回顧して、あらゆる種類の霊界通信に対
して緊要な基本的心霊的原則を思ひ起します。そ
               一〇三頁

の原則は精神緊張の欠存と肉体的意志の服従が必要である事です。
ピーターの言葉は此の心の状態を頗るよく現はしています。その語を再
び引用しませう。
「霊界の技師、霊的の心及び他覚的意識問の完全な黙従と完全な歪曲の
欠存とを必要とする」
と此の黙従(波長を合わせる事)をうる技術は容易ではあリません。
普通の人々にとりて、それを会得するため或石一定期問、啓発会員の一
人として着座するのを常とします。
 それ故、打ち合せた数分間の時間中に疾病に悩んでる普通の患者がそ
うする事を期待するのは合理的に期待が出来る事以上です。出来かねる
といってよい事です。大多数の場介に、弛緩してほしい緊要な時間中、
患者の心が非常に緊迫さ且てる事が非常に多くありそうなのです。
 例えば甲の夫人が午後九時から同卅分迄、思念連絡する時間として打
ち合されたと仮定する時、可なり多くの家庭的要因が精神傷害を起し易
いのです。加之、祈りの時間に不快感が除去されやうという予期的の感
情があり、彼女は洽癒力の存在の或る経験に対して霊医の個性叉は霊線
に注意してます。又信心深い考へで心が力強く占居されてませうし、又
彼女は疼痛と不快感に悩まされてしまう。すべて以上述べた状熊は精神
緊迫を生じ易いのです。
 霊媒又は他の人との霊的接触は、心が他の考へに使用されず、占居さ
れない時に最もよく行はれるのは承認された事実です。天啓、予感、霊
的幻像霊聴等は或る人々が、全然何も考へてい
              一○四頁

ない時に起ります。霊界通信が流れ入るためには心が空虚でなければな
りません。潜在的心霊力の智識のない人々には、屡々彼等の心が使はれ
ていない時に斯る印象をうげます。
 患者が眠つてる問に最も屡々治療が施されるのも亦承認された事実で
す。患者の手紙には屡々霊医の存在霊線、又は実際に治療が施されてる
のを見るために目がさめた事実がかいてあります。
かくて霊医は睡眠中、心が安静である時を、彼等の仕事をする機会とし
て選んでいます。それ故著者は大多数の症例に於て治療霊媒(霊癒家)
及び霊医と連絡するため患者との時間の打ち合せをするのに反対の考へ
をいだき、時間の打ち合わせによつて治療を助長するより寧ろ妨害され
るとの結論に達しました。
 此等の所見の結果として、一九四四年十一月、全然新しい技術が次の
ように採用されました。
 (イ)時間の打合せは行ないませんでした。
 (ロ)霊癒家は同様祈りをするのに一定の時問を自分でもきめません。
    一日中の職業を完了した後に此を行うため深夜に及びました。
    祈りは真夜半に向つて始められて、仕事が終る迄つづけ られ
    ました。比は患者が多分眠っていて、その為患者の心が安静で
    ある事を更に意味します。
 (ハ)患者の為の一般的の祈りの代りに既知の不調和に対して指向的
    の祈りも施されます。
 (ニ)既知の不調和は毎週の病状報告により患者から得られるのに加 
    へて、患者の容態について
               一〇五頁

 の霊癒家の霊からうける智識によりて得られます。
 (ホ)何時でも報告を提供する患者の善い意志に依頼する代りに、治療
の継続に対する条件とし て毎週報告をうけるる事にきめました。(遠方、
又は研究所或いは海外に住む第三者に対して 或る人が治療を申込んだ時
は此の此の規則を寛大にしなければなりません)
 此の法にこり、覚患者は毎週の治療的進展を監視し得る個人的症例とな
ります。或る程度の友 情と比較的十分な信頼は、それによって患者と霊
癒家との問に確立されます。
 此の実行け次の利益と不利益を伴います。
利益としては種々の種類程度の疾病に対する霊癒の方法について多くのこ
と学ぶことが出来て、どんな具合に恢復が進渉するかを知る事が出来る点
です。更に霊癒家のうげ取った霊人からの報告に従い、彼は予め患者の恢
復上認む可き次の段階について屡々語ることが出来ます。
 此の方法の不利益は通信に要する時間の多大の増加です。すべての手紙
に著者は個人として、返信せねばなりません。
 どの方法の治療でも、出鱈目は皆有害の結果を来すことは既述した通り
です。
 既知の状態に対する指向治療は最も重要であり意味深長です。既述の状
態に指向治療が施されてそれに続く数日間にその記述された容態が治癒し
てしまったものの増加しつつあるのが見出さ
               一〇六頁


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霊癒の科学(10) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(10)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳


夫人が記録帳から氏名と細目をよみ上げませう。又その日の中に受け
た不在治療についての言葉の申込みを認めてそれが記録帳に記入され
ませう。
 時が経っにっれて新しい発達が認められました。或る人が著者に近
づいて、不在治療はしかじか、かくかくの病訴に対し施す事が出来ま
せうかと尋ねるでせう。霊癒家は記録帳に細目をかき入れると同時に
精神的の記事も造り乍ら施す事が出来ませうと断言しまます。 
一両日中、時には翌日、その友人は患者のため手紙を送ったり電話を
かけたり、叉は来訪したりしませう。
そして患者が著しく速かに恢復してゐた事がわかります。
 その際霊癒家は怠慢にも要求した事についてすべてを忘れていた事
又は、症例の記録もしなければ、患者を慎重に取り扱ひもしなかった
事を認めました。
 斯る症例の第一を著者は暗号と見なしましたが、同様の症例数がふ
えて暗号説は棄てられました。
 此等の霊癒の唯一の合理的説明は、患者叉はその病苦について話さ
れた当座の間に霊癒家が精神的に助けて上げたいと云ふ望みを心に描
く事です。かくして、必然、思念放送が行はれ、霊医がそれを受取っ
て治療を始めるのです。治療機能の働きが起る上に必要なる時問は、
伝達と亨受の状態が好良なる場合には、辛じて一秒の幾分の一以上は
かからないでせう。
                八六頁

戦争の進展につれて、それがための時間の所要量が、患者各個の為に、
送念する何分問かの時を貢献すると云ふ常套的な実習上に使用する時
間の量を超過しました。サイキックエンドロンドンプレツスで企画し
た公開的治療が行はれたので、不在治療への申込みは可なり著しい割
合にふえてきました。
かくて通常の方法ですべての症例に関与する事は愈々益々実行し難い
ものになりました。それで新しい操作が採用されました。その頃各自
の申込みに対し霊癒家からそれぞれ返答されました。
手紙で返事を出す際、彼は自分の前にタイプライターを置いたでせう。
 でも彼は筑初に波長の介った状態を定め、手紙を読んだ際患者の容
態の中に送念を試みそれからタイプライターで返答を綴ったでせう。
此の実行方法により、治療とそれからうけた効果の割合が減少しない
が却って増加した事が注意深く手控えされました。
 読者へ報告上、著者は最後に述べた操作が試みられた以前、六年問
不在治療を施していた事を述べておきませう。
 不在治療が静かで閉ぢ籠った場所で中絶される心配なしに祈願され
る時、雲癒家は比較的適切に波長を合せる事が出来ます。此の状態の
下に、霊癒家は幽体投射(Astral Projection)として知られる他の経
験を認めます。此の語の表現は適切なものでぱありません霊の投射
(Spirit Projection)又は霊的旅行(Spirit Travelling)と云ふ方が
確かによい表現法でせう。
              八七頁

 

次の如き事が起ります。霊癒家は彼の指導霊に波長を合せ、彼の眼を
閉ぢます。彼の内的自我は唯助けを求める事、例えばブラッホードの
クリップス氏が十二指腸潰瘍に悩まされてると云ったやうな事のみに
関心をもちます。霊癒家の内的自我がその状勢中に居ますと、彼の意
識の上にクリップス氏の居る部屋の幻像が描かれて来ます。此の幻像
は、恰もそれを肉眼で見てる様に活々として明確です。丁度霊癒家が
その部屋に実際に居るようです。
 幻像は一分間位、又は数秒問続いて存在してる様に現れませう。
けれどもその幻像はすべてのこまかい点迄容易に記憶してる事が出来
る程はっきりと且つしっかりと心に印象されます。部屋の色の配合、
家具とその特徴、患者が椅子にかけてゐたか又は床の上に居たか、窓、
カーテン等及び患者その人迄、此等は皆霊癒家が未だかつて見た事も
あった事もないのを想い起すでせう。
 通常斯る像を精神的に記録するには、観察により個々に各種目を吸
収してそれを記憶に印する事に、訓練された心に対しても目立つ程の
幾分かを要するであらうと云ふ事実に注目するのは興味があります。
霊的旅行による像は本物でいきいきしてゐて印象的です。
像は霊癒家の心に宿って誇張なしにあらゆる細目を回想する事が出来
る程です。
 多数の場合に於て斯る幻像をえた後で、著者はそれに関係ある人に、
特殊の時問に於ける患者の精細な記述とその環境をしるした手紙を送
り、すべての場合に完全な確認が与えられました。
              八八頁

此等の経験は幾回も起りました。パリツシュ氏其他の霊癒家は類似の
霊的旅行の事件について証言しています。
 或る場合には英国北部から治療のため或る男が妻をつれて著者の詐
に来訪しました。霊癒家がその婦人に治療を施してる間に、その良人
は彼の小児へ不在治療を施してくれと云ひました。
霊癒家は念波の合つた状態にあり、その要求をうけるや霊癒家の意識
はその男の家へ旅行しました。
彼は即時に彼の家の座敷と、その家具什器のみならず、彼の小児とそ
の年令、その小児の遊んでゐた特別の玩弄物についてその男に談す事
が出来ました。その上、小児の看護を頼んで来た近隣の女もそこにい
ました。すべての事が最も細い点迄本当にその語通りでした。
 此はどう説明す可きでせう。
 五々人門が三つの主要な体をもつてると云いました。就中霊体は魂
即内的の心を含有して心霊治療上に使われる主要な能因です。此の霊
的の心は、日常の音響、触感等のやうな肉体的連合の自動的反応から
生ずる記録と元来関係しません。此等の経験をうけるのは真であるが、
それ等は劣勢の経験です。霊的の心の主要な機能は直接思想能囚とし
て作用する事です。此は個々の意識が相容れぬ時に働くやうになりま
す。即ち精神集中に対する必要、又は創造的思想の必要に対して働き
ます。それは人間経験の貯蔵所であり、行為に対する推進力です。
それは個人の性格の反
               八九頁


映で、最も重要で、霊体の原動力に適用されます。
 霊癒家が波長を合せた時、彼は肉体物質の思想優越性を霊癒するもの
に明け渡し、それがその当座優勢な支配者となります。それで霊体旅行
には支配的な霊的の心が劣勢な肉体の心から遊離して、それが自由に引
きつけられる環境即患者の容態の中へ旅行するようになります。
 人々はどうして霊体(吾々は腕や脚等と共に考へ易いから)は霊的の
心を伴うかを怪しみます。
すべての吾々の肉体的経験は、吾々の腕や脚ですら精神的意識にすぎま
せん。吾々の或る部分が一瞬間に、地図や道標の必要なしに、他の場所
に旅行する事が出来るぐので、それによって、その場所における理学的
世界の幻像を記録することが出来ると云へば十分です。霊界通信の記録
に豊富に証明された様に、類似操作で、霊人地上の状態を来訪して、そ
れを陳述する事が出来ます。霊的の心が理学的状態を見ることが出来る
ために、人間の媒介(即ち道具)が必要であるとの論旨は承認されてい
ます。若し此れがそうであったら霊癒家の霊的の心が旅行する際、訪 
間した環境に於て幻像の記録のために媒介として働く事が出来る処の或
る人問の器具がある筈です。上述した症例に於ての著者の経験に対して
媒介として働いたのは小児か叉は隣人であったでせう。
 第二の臆説は、霊癒家の霊の心が患者たちの霊体を見ると云うのです。
来訪者が訪れた時、
                九〇頁

普通の視覚に於けると同様な方法で、すべてが調和して波長が合うから
です。部屋の造作等の幻像はそれらの特徴あるエーテル性の複写から霊
的の心によりて記録されています。
 患者が具合の悪い時、彼は屡々眠りの状態にあるか又は彼の心が目ざ
めてる間も眠っています。
換言すれば彼は普通の理学的物質と余り多く関係しません。かくて彼の
霊的の心は来訪した霊的の心又は霊医と訓和す可き状態におかれていま
す。
 尚接触治療と比類す可き他の経験が、不在治療を実行する霊癒家にあ
るを常とします。
 霊癒家が患者のために祈願するよう、その意識に、思想に、又は画の
形によりて、疾病の原因と関?した出来事が記録されます。
 例へば或る患者が或階段から仰けに落ちる処を見るでせう。そして彼
の内心はそれが六ヶ年前に起ったと彼に告げます。
 斯る出来事が疾病の原円として介理的に追躡されるものである事が幾
度か確めら言ました。
 患者が引証した報告の一〇〇%を確める事が出来たとは言い出しませ
んが、患者は常にかう云います。此等の出来事を回顧して、患者は屡々
朧げな過去に起った事を記憶する事は患者にとって困難ですと、かくて
思想移送又はその他の当て推量の説明は排斥します。
 此処で推論するのは霊癒家の霊的の心が患者の霊的の心と接触したと
云う事です。(経験の倉
                九一頁


庫)。患者は出来事を考えていませんでしたし、又多分一時的にそれを
忘れていたでせうから。それは患者の肉体の心ではあり得ません。
二つの霊的の心の波長が合って、交通したり、会話することが出来ます。
そのやうに霊癒家は彼の霊的の心により、疾病に関係した出来事に留意
するのです。
 片し此の仮説が合理的だとすれば、それは亦霊智者の通信法を示すも
のとして興味があります。
それで報告は国語の必要がない程明白に伝達されます(さながら絵を見
るような記事の図解法の大多数よりもはるかに活きいきしてる)
 不在治療によって治療又は軽快し得る疾病の性状には限界かおりませ
ん。吾々はどうして此等が行はれるかを詳細に語る事はまだ出来ません
が効果が木当にある事はわかってます。それは冷かな事実です。
けれども吾々は基本的概論の或るものを再び回想する事によりその問題
の理解に近ずかんと試みる事が出来ます。
 以前記述したやうに、特殊の主訴に巧みに適川される法則に支配され
た力を含んでる詳述された機能かおるに相違ありません。
 次に治療が申込れた時患者により(又は第三者により)思想力の放出
があります。此は霊的の心が助力に対して活溌な申込をした事、それに
よって霊的の心と霊界に記録された経験とになっ
               九二頁

た事を意味します。
 その時霊癒家が画面に現はれます。彼は手紙を受けとり疾病について
の智識が彼の霊的の心の中に記録されるようになります。
 此等が初歩の要囚です。
 それから霊医が行動を起します。彼が行動を起すのは次の場合又はそ
のいづれかの一つに於てでありませう。即ち
 (イ)患者又は第三者が霊的助力を欲してそれに対して申込をしやう
       と決心した時。
 (ロ)霊癒家が申込書を読んだ時。
   霊癒家が治療の目的で静座している期間です。
 (ハ)は最もそれらしい時です。いっでもそれが起った時、思想申込
       をうける為に隨伴する霊医に
とり都合のよい状態でなければなりません。其の時が霊医と、人間の器
械(霊媒のこと)の霊的部分との問に、享受と伝達の調和がある時に相
違ありません。
 次の段階は霊医として患者に接触する事です。此は実際にあるよりも
吾々にとりては遥かに困難が多い様に思はれませう。それは彼等の問題
中最も容易いものです。霊媒の霊的自我は前述の如く一瞬の中に何の困
難なしに患者の主訴へ施行する事が出来ますから、立智者は確かに、
もつ
               九三頁

  
と容易に患者を探し出す事が出来ます。倫敦の地下鉄で気楽に感ずるより
亀もっと気楽に霊人は彼等の領分で感じてるのは明らかです。
 此について霊医の仕事は主訴に関与する事になります。此の点に迄此等
の論争を支持するため心霊的経論の領域から支持的実証のある事が提言さ
れましたが、然し或る広い概論に対するものを除き、吾々はもう少し進ん
で語る事が出来ます。
 上述の点から第一の要件は霊媒にとりて、患者の霊体を通じて働き得る
ことです。此の霊体が有効な治療の課程上の妨害物となる程にそ、の肉体
的複写と調子がはづれて歪んでるでせう。
又或る個人の肉体は通常の理学的治療機能に非反応的であるように、患者
の霊体も霊癒機能に対し非受亨性でせう。
 げれども一定の普通の亭受性叉は患者の霊体と霊癒機能の問の調和上、
皮和的に、なぜ霊癒が効果を来してはならぬかと云う理由はないように思
はれます。
 霊医は最初、彼の智慧によって主訴を診断するでせう。そして診断と療
法にっいての地上と霊界との医者の方法の問に、差異の世界を認めるでせ
う。実際に生じた不調和を鎮静するよりも、不調和の原因の除去に一層多
くの注意が献げられます。
 それ故、指導霊の仕事を一層よく認識するため、吾々は最初に、疾病の
根本的ぼ囚につき少し
               九四頁

知っておく必要があります。
 此等の原因は先づ、二様です。第一は純然たる肉体的起源で、例えば骨
折、火傷のようなものであります。第二は霊的起源のもので精神錯乱のよ
うな場合です。
 吾々はすべての主訴をこれら二つの項目の下に分類し得る程に、まだ進
歩していませんが然し、読者は心に共伴する疾病、神経症、感情的緊張に
より惹起された症病等は明らかに霊的の種類の中にある事を認めませう。
 ピーターは癌が霊的起源のものであると云いました。此の陳述は最初見
た時、不合理に思はれましやうが本書では後に癌の療法につき説明する時
その論旨を支持す可き理由のあることがわかるでせう。
 かくて霊医が光づ、疾病の原因を診断しうる立場に吾々は到達します。
此等の霊医は、地上の医師が肉体側を見る事が出来るよりも、恐らく、も
っとはっきり吾々の霊体側を見る事が出来るでせう。霊体と肉体とは相互
に交感的複写である事、その中のいづれの体における不訓和も、他に反映
する事を回顧する為、暫時此処に立ち止ろうではありませんか。其結果指
導霊の仕事は益々容易になります。と云うわけは原因が肉体的起源である
と、霊体的起源であるとを問はず霊医は霊体を経てそれを見る事が出来る
からです。
               九五頁


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霊癒の科学(9) [心霊と人生]

霊癒の科学(9)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳

 

 疼痛状態は、治療的の手の持主が徐々に按摩をして頭痛をとりのけ
られると同一の方法で、彼の手で、数回患部(普通衣服の上から)を
撫でおろす事により普通楽になるか、叉は全然除去する事が出来ます。
 疼痛状熊叉は他の多くの主訴を緩解するために、霊癒家と患者は、
霊癒家の手から可なり多量の熱が放出されてるのを経験します。
 比は潜在的宇宙治癒能力の存在の追加的証拠を提供する普通の要約
です。霊癒家は彼の意のままに熱を産出する事は出来ません。
それは正に注意されてる主訴の病状に従って起ります。
 此の熱はやくやうな性状をもってます。此処に吾々は電光のやうに
焦げると云ったピーターの語を引証する事が出来ます。それは血温よ
りも遥かに高い。即霊癒家が巫者の他の両側に手をおく時、熱は躰を
透過します。即それは単に外表の熱であるばかりでなく、尚内部的に
感じ得る、深く透入する熱です。
 患者は関節炎、リウマチス、結核、腫瘍等の症例を加療する時、此
の熱線を経験します。此の熱線が流れてる時、霊癒家は患者の体表か
ら六吋の遠方迄手をはなした時にも、それを感じ得られます。時には
もっと遠くはなしても患者から熱を感ずる事が出来ますが、手が患者
から遠くはなれるに従って熱を感じる程度が低くなります。
                七六頁

熱線は通常の人問の支配力を超へた治療力の存在の明白な証拠です。
それは霊癒家から発生する事は出来ず、又霊癒家が発生させやうと思
ふと出なくなるでせう。それ故これは霊癒家の心では支配さ牡ません。
これは加療されて疾病の容態に従って発生します。此の実証は治療力
が肉身を脱した利巧な良心によりて応用されてるに相違ないと云ふ早
期の所説を補強します。
 治癒が起ると云ふ約束も保証も、霊癒家自身には与へる事が出来な
いと記述されていました。
そ牡にも係らず、容態が全治した場合と、外見上全然変化のない場合
のいづれにも、常に起る処の一つの効果があります。それはすべての
患者が加療により快感を覚ゆる事であり、安眠、食慾及び患者の気分
の好転等完全な強壮剤の様な作用です。
 或る人は他の人より治療をうけ易い様に霊癒家に思はれます。霊癒
家は患者が力を得てるかどうかにつき敏感です。時としては患者が享
受性で生命のない木片の様に感じることかあります。
 著者の経験上、斯る患者は享受性と思ばれる者よりも治癒を伴う傾
向の少いのが常規のやうです。
 此処でも亦無条件に断言を下す事は出来ません。
 霊癒の全領域を通じて、患者のうけ得る効果の程度を支配する不変
の規則は無いことを見出すでせう。
著者は上述の事実に関する一例を記憶しています。
               七七頁

 

 一人の女性の患者が長い治療会の終る頃に来ました。彼女は幼児の
頃からそれ迄ずっと聾でした。母が彼女の幼時、蝋をとかしてる最中
誤って彼女の耳の中へ熱湯をこぼしたために起ったと云ひました。
それは彼女の生後二、三週開以内に起った出来事で、湯が余りに熱過
ぎたため彼女は令然聾になってしまったのです。
 此の女は霊癒家感応上生気がなかったし、実際その人格も虫が好き
ませんでした。著者は患者の非感受性の感じを、又彼の療法に何等の
好果も伴ふまいと思ふ旨を告白しました。でもその女は一時間後、真
夜半近くに、頗る興奮した様子で、彼女の耳がきこへだした事を報告
するためわざわざ来訪しました。
彼女に喋べる事の出来た唯一つの言葉は、「私、きこへる。私はきこ
へる」と云ふ事でした。
聴覚は復常していました。彼女がその次に著者を来訪した時、彼女は
洗濯屋で働いていて「娘さんたちがあんな多くの約束が出来る」なん
て未だ且って知らなかったと著者に語りました。
 患者が非感受性と思ばれる時、患者の肉体と霊体の問に不調和かあ
る事もありませう。そして霊癒家と彼の霊医と、患者との問で波長を
合せるのを邪魔してるのです。原因が霊癒家と患者との反目の事はな
いやうです。即霊癒家は全然非個性的で、患者の個性に関係せず、疾
病の容態と彼の奉仕せんとする慾望に関係するだけです。
               七八頁


霊癒の主要な第二の分派は不在治療(遠隔療法)として知られてるも
のです。
 第四章に於て不在治療の適用法について初歩の説明を致しました。
他型の霊癒の成績が驚く可きものであるやうに、不在治療によって起
る効果は、その幾倍か不可思議なものです。
 接触(個人)療法では患者と霊医(治療指導霊)の問に、治療霊媒
と云ふ人問の確実なつながりがありますが、不在治療に於ては唯不確
実な思念の仲介があるにすぎません。
 約言すれば、不在治療は、或る距離にいる或る人のために治療霊媒
により指向されます。その人は一般に霊媒が未だ且って逢った事のな
い人です。患者は地球の反対側にいる事もありませう。
距離は問題でないのです。遥るかに遠い国から患者は電報で霊癒家の
救いを求めて申込んで来ます。パリツシュの記録に此の症例が認めら
れます。同時に仏蘭西、瑞典、モザソピッ、リカ、印度に居る患者に
ついての効果が著者により記録されています。
              七九頁

 

 茲に推測の領域に入って来る新しい要素があります。それは霊癒が
自己の意志力又は信仰療法の結果であるとの論旨を全然打ち砕く要素
です。
 此の要素は第三者の仲介的紹介です。印ち患者のために助けを求め
て申込む者が親戚又は友人の場介です第三の中問(即仲介)を要する
条件は
 (イ)患者が余りに衰弱して手紙がかけない為め
 (ロ)患者が霊癒の智識をもたぬため
 (ハ)患者とその家族が神霊主義に反対しておる時(一般にローマ
    ンカトリック信者達)です。
 此等の状勢の下に、患者と霊癒家は直接面接していないのです。
同様の状勢的傾向は小児又は精神錯乱の為めに救いを求められた場合
にもあてはまります。
 斯る状勢の典型的実例は一九四一年二月十五目のサイキック・ニュ
ース誌に発表さた次の報告です。
此の霊媒はローマンカトリック信者に問題を起したイングラント北部
に住む一人のローマンカトリック信徒は難しい問題にぶっかった。
彼女の母は最近、癌腫で帰幽した。死亡する前両三日の問、彼女の苦
悩はすっかりなくなって、薬を
              八〇頁

やめて安眠が出来るし食事もとれる程になった。
 その女の難問は、彼女が不在治療を申込んだ時問と母が楽にたった
時問とが一致してる点に初まつだ。祈祷した霊媒(或は僧)がそれに
対して責任かおるかどうか決定しかねたのだ。
 娘(彼女自身四十二歳で、普通の水準以上の頭脳の特主だと述べて
る)はサイキツク・ニユース誌上で霊癒に関して読んだ事のあつた、
ハリー・エドワーズ氏に手紙を送った。それは彼女の六十七歳の老母
の癌の病勢増悪に悩んで激痛に対してモルヒネを服用して僅かにしの
いでる時の事であった。
 「私達は皆終焉が来たものと思つてます。けれども私は奇蹟が起つ
てる記事をよみましたので御手紙を差し上けます」と彼女は書きまし
た。
 彼女が手紙を出した翌日、母の容態は非常に軽快したのを認めまし
た。此の数週間の問に初めて安眠して翌朝も明らかに気分良く目を
さましました。

  疼 痛 の 終 止 符

 「母は軽い朝食とりそれを吐きません。これは稀有な事です。その
時から母には疼痛がなくなり服薬の必要が良くなりました。母けそれ
から二、三日後安らかに帰幽しました。」
 「母の死亡の二目前に、母は彼女の死んだ母と談してる様に思はれ
ました。家族のものにはそ
               八一頁

 

れはわかりませんでした。がそれは全く自然で、瀕死の母は一緒にそ
の部屋にいた、他の人たちと普通の話をしてました。」
「母の母親が私達と一緒に同じ部屋にいた様でした」と娘はその手紙
にかいてました。
「僧は幾度もよばれて母の安心立命の為に祈祷していました」と手紙
はっづきます。「僧も私の家族も病状の変化とその他の事情が祈祷の
結果だと思います。私は母のために貴君が思念して見ませうと云はれ
た夜、変化が初つた事を忘れる事が出来ません。」

  驚く可き安心立命

「驚く可き安心立命が僧の祈祷によるか又は貴君の力によって起った
かは、私自身で研究す可き問題です。」
「貴君の助力に対し、私の衷心よりの深い感謝を表現す可き語があり
ません。貴君の奉仕により驚く可き事が起った事、母が最後の時にあ
んな安心立命の境に入り得た事は私の心から離す事が出来ませんし、
カトリック信者である私にとつては難問題です。」と、
他型の霊癒におけると同様、不在治療にも定まったやり方はありませ
ん。
               八二頁

申込は口頭又は手紙で出来ます。霊癒家は申込をうけた時、一定時間
に患者に対して思念を送ります。
 此の思念放送は、一般に一日中の或る一定の時間に、閉ぢ籠つた静
かな部屋に坐つて居られる時に施されます。(単独に又は友人と共に)。
その際彼はすべての社会的事情についての考慮から離れて彼の指導霊
(霊医)と波長を合せます。
 霊癒家が波長を合せる能力即彼が容易に霊医に自己を全託しうるか
どうかは、当然、霊的親和力又は心霊的発達に関係します。
 彼の心の指向する意識の方法によって、彼に協力する霊医が、患者
に対する懇願の思念を享ける事が出来ると云ふ智識に、霊癒家は全幅
の信頼をもたねばなりません。
 此の信頼は屡々神霊主義的天恵とは別箇の純然たる霊的天恵の訓練
によりかち得た治癒についての経験から生じます。概則として、すべ
ての霊癒家は高度の心霊的法規もつてます。若しそうでなければ、其
の霊癒家は同胞への奉仕の為に彼の時間を捧げていないでせう。
 不在治療は自然の天恵で、すべての人々が、大なり小なり或る程度
に所有する事を茲に提言します。けれども成功する霊癒家は、彼の霊
力の発達によりて治癒させるやう自ら用意して、物質的の考究とは異
なった霊的価値により安配された生活を送りつつあります。
              八三頁

 

 霊癒家がその研究上進歩するや、霊智者との交通の容易さは第二の
性質となるやうになります。
 著者はロンドン警察隊の一員である霊癒家を知ってます。彼は逞し
い大男です。神霊主義で発表してる様な来世の確信者です。
彼が巡回中、弱々しい老婦や、明らかに衰弱した不健康な入に出会っ
た場合、彼はしづかにそれらの人の背後に歩いていって、自己の大恵
を働かせ、相手が誰であっても意に介せず、治癒力を指向します。
比は閉ぢ箭ったり静座したりする必要なしに、平生の態度で治癒的大
恵を活用してる処の、典型的なロンドンの警官の崇髙な光景です。
 条件はどの雲癒家にも多大の助けです。上述の物語は閉ち箭る事の
価値を過少価しようと企てたのではなく、治療力がいかに自然に与え
られ得るかを解説する為に述べたのです。今話した物語をきいて、患
者はその警官の治療法により効果をかちえたのかと訊ねられるでせう。
記録がないから何んとも云ふ事が出来ません。が著者が同様の状況の
下に治療してその効果が証明された事を述べる事は出来ます。
 著者の職業は図書室を備えた印刷屋で文房具部も兼備してました。
此の職業を経営してる間に顧客が屡々彼自身の病気や親戚知己の病気
の噂をしているのをよく機会は非常に多くありました。
治療実習者にとり、病気にっいての談話は、彼の潜在意識にその病人
に対する自然の反応を起します。此の反応は強いて起されるわけでは
ありません、同情的治療力の自然の流出です。霊癒
               八四頁

家はそれを起した事を殆ど意識しません。顧客も勿論それを認識する
事が出来ま廿ん。此等の事情の下に、著者は、その後続いて来られた
時その人が若し御得意の客で本当に顔見知りの人であれば、いつから
か御楽にたりましたがときいて、此の店に初めて来た日から恢復し初
めたと云ふ報告をきく事が出来ました。
 此の章が初めて起草された時より一週間前に起った、上述の話の実
例かおります。
 一人の婦人が、乳嘴突起の膿瘍、或は炎症(医者も確診してゐなか
った)に躍った小児の為に参考になる書物を図書室で探していました。
著者はその青年をよく知つてい言した。その母が病気の話しをしてい
る時、著者は自分に治療能力が発現しているのに気がつきました。
 断言したり履行したりする平生の実地治療とはかけはなれて違ふ事
を強く心に印象して、その母に患者は三日以内に快くなりませうと告
げました。母は、医者が永い危険な病気になり易いといっているから、
どうか貴君の話が実現してほしいと云ふ意味の答をしました。
処で第三日目の朝、その青年は全快して自ら借りた書物を図書室に返
しに来ました。此の自然治療の経験の症例数は幾倍にでも増加する事
が出来ます。
 著書の早期の不在治療経験の問、奏効的成績は、唯静座する通常の
やり方で精神的昏睡状熊を起した後でばかり起る事を認めました。
               八五頁

 


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