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霊癒の科学(14) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(14)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳


てせう。
 霊癒を申込む病人には些細な病苦から、不治の難病に至るあらゆる
種類の症例があります。著者は本当にまじめに疣や雀卵斑をとって呉
れと頼まれた事があります。
 正統療法に於げると同様疾病の早期に加療し初めれば効果を来しま
すが、霊癒は尚長く持続した疾病にも好果があり、時としては全治を
来す事すらあるのが熟知されてます。
              一二七頁


          第十一章 結核

前章に結核の治った記録の第一例につき述べましたが、その後間もな
く次の例を見ました。それはC・クラデイス嬢の症例です。
 ダラデイス家は大家族の一つでその家人の多くが一九三七年の三年
間に霊癒をうけて著名な成績をあげました。その主訴は様々でしたが、
どの症例にも効果の起らなかったものはなかったのです。此れは或る
程度家族の人々は他の家族の人より霊癒に対して身体的に又は心霊的
に享受性があるやうに思はれます。
此の家族C家に関?した主訴は、奇形の足、結核、眼の白内障、麻痺、
腫瘍から腰痛その他の微恙に至る迄いろいろ数えられます。
 腰痛と白内障を除いた、どの症例でも令洽しなかったものはなかっ
たのです。
 著者によりあらゆる努力が払われたに係らず、著者の親戚の一人は
結核で他界しました。著者
              一二八頁

の親戚のもの同様、C家の人々も治療が或る効果を来す迄あまり理解
的ではなかったのです。
 C家の物語は或る夜遅く始まりました。その際グラデイースの妹の
ヘッチーが自分の姉妹のために救いを求めて来訪しました。
ヘッチーはその日神霊主義教会に出席した時霊媒がグラデイースの病
気の事を語り、評者の許へ彼女を指し向けたと云ひました。
 此の時代、著者は此の仕事を丁度始めたばかりで、一般に知られて
いなかった事にも注意を要します。それ故に著者の見知らぬ人であり
お互に未知の人であったその霊媒が、どうして霊癒家を見出すことが
出来るかをヘッチーに教えるために、昏睡状態で一定の指図をしたに
相違ないと云ふ事実は、少し不思議のやうに思はれました。
 著者にとって、その夜グラデイースを訪問するには遅すぎましたの
で、不在療法を行ひました。
その問に著者は病床上に横っている小女と病室の幻影を見ました。
此の幻影が続いている問に著者に助力が与へられ、高熱が下った様な
印象をうけました。
 翌日著者がC家へ訪問した時、不在療法を行つた時から、患者が眠
についていた事を確めました。それで次に彼女が目ざめた時、発熱状
態は既に去っていました。此の訪間中、著者は個人的治療を施しまし
た。部屋右小女も著者が幻影で見たものと同じであった小を認めまし
た。一時間後グラデイスは激しく気持が悪くなって血液と大きな塊状
の物を吐きました。彼女の両
               一二九頁

親は驚いて医者を招きました。患者を診察しか後、に者は彼女の容熊
は憂慮す可きものであると云ひ、病院へ移すにば悪くなりすぎている
からと云つで部屋を暗くして患者に絶対安静を命じました。
 ヘッチーは著者を訪問して起った事情を語り病人を来訪して呉れと
頼みました。著者はC家を訪問して、小女母に、患者は三日以内に恢
復するだらうと告げました。此が本当である事は証明されました。
五日後に著者が第三回の訪問をした時グラディスは離床して着物をき
ていました。
 その時の事でした。グラディスが著者に、彼女は最近サナトリウム
から退院しで来た事、結核に対する治療をうけていた事を語りました。
片側の肺に気胸が施され、再び空気を入れるため二三週間毎に彼女は
病院へ行く事になっていました。
 医師は此の療法ば数年に亘って持続されねばならぬであらうと彼女
に告げました。彼女は病状が自分の結婚の邪魔になるだらうと思って
困っていました。
 肺病に対する霊癒が施されて、第一回の霊癒が施された時からグラ
ディスは二度と再び気胸療法をして貰いませんでした。グラディスは
気胸療法をうけに病院へ通ひましたがもう空気を入れることが出来な
いと云はれたのです。
 第一回の霊癒は一九三七年九月に行はれました。翌年初頭グラディ
スは検査のためサナトリウ
               一三○頁

ムにゆき、その後数力月間、なぜ彼女が気胸療法をやって貰ふ事が出
来なかったかと云う理由を発見しました。
 次に医師の報告の真正の写しを揚げます。
 ロソドソ市庁保健局パークシー・オーキンガム、パイソウツトサナ
トリウム、グラデイス、C嬢、
一九三八年五月五日貴女のフイルムで私か全然申分ないと考えている
と知ったら貴女は喜びませう。現在、何等の空洞症状もありません、
貴女は著しく快くなったと私は考へます。貴女がネーランドで今後引
き続き健康に幸福に過されん事を望みます。多幸を祈って 敬具
               医務課長 エム・ホービス署名
 此の症例は一九三八年五月五日付のサイキツク・ニューズ誌に次の
ように報告されました。

 肺 結 核 治 癒 す
 一人の若い女性が重篤な胸部疾患から、七日門で恢復し、引き続い
て、肺桔咳に対しロンドン南西部バルアムの、ハリー、エドワーズ氏
の霊癒をうけている。
 肺が圧縮され、医者は更に三ヶ年の治療を要するであらうと患者に
語った。患者は毎月一回気胸療法をうけに病院へ通っていた。
              一三一頁

 三回加療後、霊癒家は患者に、「肺の患部は消散してもはや気胸は
やれまい」と告げた。患者は規則正しく気胸をつづげていたので此の
語が信じられなかった。それにも拘らず次の三回病院に行っても気胸
を行って貰へなかった。
 それでも患者は満足しなかった。患者はサナトリウムに入所を申込
んで三ヶ月間治療をうける事が出来た。サナトリウムで診査された処、
疾病のすべての痕跡迄消散して、肺は完全に治っている事が発見され
た。彼女は看護婦としてサナトリウムに採用される可否を訊ね、見習
期間の入所が許可されたのみならず、患者として滞在してる問も、奉
職する事が許された。

著者は一九四三年にグラデイズの消息がわかりました。彼女は結婚し
てクラッパムジャンクションのアデイングホップス商会の家具部で可
なりの重労備に従事していましたが病気は再発しませんでした。
 引証された上述の二例は、他の多数の症例を代表するもので、その
大多数は不在治療によって癒されました。
 すべての症例か癒されたわけではありません。報告された全治の比
率は三〇%でした。同時に
               一三二頁

残り五O%では容態がよくなり、体温は復常し著しく快方に赴いたと
報告されています。
 此等の比率を引用するに当リ、患者が霊癒家に自分の病歴について
報告する事が頗る稀れな点に留意する必要があります。
 例へば一九四三年に英国陸軍飛行隊の航空軍曹は彼の許嫁のため、
第三者を通じて著者に救いを求めました。その患者は結核でした。
軍曹は患者の事を非常に心配していました。彼の両親がその娘の健康
を理由として結婚に対し異議を云ひ立てていたからです。
 著者がその後、軍曹の次の請暇で娘にあひにいって、娘から病気が
回復してゐたのを認めたと云ふ事実を唯偶然の機会にきいただけでし
た。直接には何のしらせもうけなかったのです。
 それ故引用した比率は実際高く評価される処が、寧ろ低く評価され
ているわけです。
 六ヶ年問以土の記録上好果のあった症例では次の二つの反応があっ
た事を認めました。
 第一体温が速かに半温になった事、此れは通常不在治療を始めてか
ら二十四時門以内に起りました。
 第二患者の体重がふえて来た事。一九四三年、同時に三人の青年の
症例に関与しました。いづれも速かに恢復しました。普通の恢復より
も遥るかに迅速でした。病院の当事者の説明した通りでした。
              一三三頁
 
此等の症例中の二例では第三者から助力を求めて著者に申込んで来ま
した。その第三者と著者は親しい間柄でしたから、治癒して来た際起
る症状即体温の復常、次で体重の増加等を期待してよいと話しておく
事が出来ました。患者の病床にある体温表と、看護婦に質問して此の
観察がつづげられました。
 此等症例中二例に於て、不在治療開始当日の直後に有望な症状が認
められました。
十分恢復しなかった症例で、一定期間の不在治療の施行後早期に上述
の症状が認められました。がその後になって再発した事を知ったわけ
です。
 此は亦他の主訴にっいても同様で、一定期問著しい軽快を来したが
それがそのままつづいてゆきませんでした。
 此等の症例で、霊癒する技手は患者に助力を与える事が出来たので
すが、患者の体力が衰弱がひどくて、その恢復状態を或る期問維持す
る事が出来なかったものと見て差支へないと思ひます。
此は患者の肉体の衰弱がすべての療法の力を凌駕したものて考へられ
ます。
かかる状態の際患者は霊癒家による心霊的治療に頼るよりも先づその
肉体を支配する理学的法則の改善をはかる方がよいと思ひます。
             一三四頁

     第十二章 リウマチスと関節炎

リウマチスと関節炎に悩まされている患者は頗る多数です。此等症状
に悩まされている者は霊癒申込者中少くとも五○%と概算されます。
著者の経験上、此等の病苦の幔性状態に悩まされていた患者で全治し
たものが無かっと事を先づ云はねばなりません、此等の症状に関与す
る事は最も困難です。
 前章に慢性関節炎の患者の指の使用が漸次復常して、頸部と四肢の
関節が自由になった一例があげられてゐます。此れと類似の症例に於
ける治療は長い問整然と施されねばならず而も快復する際もそれは徐
々に起ります。
 激症で復常したものは著者の経験上皆無と云ってよいに拘らず、医
者も匙をなげる此等の癈疾に此れ迄に起った程度の徐々の快復が漸次
起る事を認めるとすれば治療学上の驚く可き貢献です。
 症状が余り深在性でない場合は比較的容易に救はれます。障害全部
を除去する事が出来ます。
             一三五頁
                           
此の語は一時症状が除去されるのを見ても多分承認されませう、患者
を追究して病気が再発したかどうかを確めるのは最も難事で、若し効
果維持の実証として再発していない事を認め得たら、大多数に於て治
癒は永久的でせう。
 著者の知ってる一例があります。
 その人は此等の症状で完全に不具者でした。その患者は女流霊癒家
の治療をうけて、現在大工と云ふ職業に従事し得る程、速かに快復し
ました。彼の指は復常し、彼の腕の運動は自由になり重い物をもち上
げたり楽に仕事加出来るやうになりました。彼の膝も亦ひどく不便を
感じない程度に自由になりました。彼はまだ完全な肩の運動が出来ま
せんが、それも徐々によくなって来てゐます。彼は霊癒をうける為可
なり遠方から毎週整然と旅行して来て引き続き治療をうげている事を
紹介してよいでせう。

他方で、膝の急性疾患に悩まされていた一女性の恢復を、南ロンドン
新聞が次の様に報告しています。
  ツーチングヘ神霊主義教会を創立せんと、ウライト夫人が決心し
たと云ふ宣言は入院治療が 失敗に帰した後に膝の疾病をハリー・エ
ドワーズ氏に治して貰つた事に続いて行はれた。
             一三六頁


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