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霊癒の科学(17) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(17)

 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳

 

しますが、身体の衰弱の為十分に健康をとり戻す事が出来ないで、或
廻らせ、それから人手を借りて階段をおりてゆきました。患者がおち
る心配があったので介添人が必要でした。それでまだ彼女自身も独り
歩きする程十分の自信をもつことが出来ませんでした。
 階段をやっとおりてゆき、両手を霊癒家の手で支へられ乍ら広問を
通ってタキシーのまつ処迄歩いてゆきました。
 其後患者から来た手紙は彼女が引きつづき良好の状態で経過してい
ると報告してきました。
 此の患者は脊柱の故障を起す以前は、経験のある看護婦でした。
それだけに彼女の手紙は価値がありました。「脊柱を取扱った手は手
技的外科医の巧妙な手であった。」と
 本章が書かれてから、もう一つ背推の霊癒の成功した症例がありま
す。患者は極めて高度の肩胛骨間の脊柱湾曲を示す婦人でした。
その結果として彼女の胸は前で曲り、一方の肩胛骨は凸隆して、湾曲
は此の肩胛骨の方へ向っていました。
 故障は十七余年以前の怪我によって起りました。此等の霊癒に際し
て著者は深い入神状態を求めたので、此の場合もそうしました。
著者はアモス嬢を助手とし、又患者の良人も列席していました。
 最初油が患者の周囲に塗擦されてから、霊癒家の指が背柱がまっす
ぐになる迄手技が行はれました。
              一五七頁

             
 その仕事は五分問以上はかからなかつたし、患者は疼痛を感じませ
んでした。
 患者が足で立つた時、まつすぐ(完全にまつすぐ)に立つ事が出来
ました。肩胛骨は本来の位置にに戻りました。かくも湾曲したまま長
い年月そのままたった背柱を疼痛もなく、かく短時問にまつすぐにす
る事が出来たとは信じ難く思はれませうがでもそれは真実なのです。
 再発は起らず、患者は霊癒家の力の証人として時々他の人々に、彼
女のまつすぐにたった背なかを示しました。脊柱に於げる斯かる手技
は、その肉体、脊髄、腺等の虚弱な組合上、多大の注意と可なり著明
か智識を要する事がわかりますのに著者はそれ等について何等の知識
をもつていません、此等の操作に要した時開は短く、第一例では数妙
その他では数分でした。此の作業は既に記録した療法とは異つた項目
の下にあるものとに見てよいでせう。此等比他の力により十中八九は
助けら札た明確な理学的手技でありました。霊癒家はどうして療法を
成就す可きかを知りませんが、然し彼の手は指導霊の支配の下に使用
されました。
 等閉にされた症例でも、此等の手技がいづれに於ても、霊癒家が直
接霊医に支配された深い入神状態におち入つていた事をもう一度此に
述べておきませう。此れは霊癒家の霊体的の心が劣勢となっている問
に霊医によって操作された霊的の心が、採用す可き行動を指示した事
を示します。
 斯く司配されてる場合に、手も指も、霊医が直接霊癒家の身体を支
配してる事を示す「加へら
             一五八頁

れた力」をうけますから、上述の説明では多分十分ではないでせう。
 上述の症例のいづれに於ても、患者は何等の疼痛も感じません。
W夫人はいいました。「彼女の背なかはしびれたやうで、手術中感
じかなかった。」と
 非常に激痛のある状態が加療された時、幾度か此の四肢又は体部
の麻酔について記述されました。此の治療法の特徴は損傷された患
部の印象をうけとって、関与する患者のその部分の意識を鈍らせ、
又患部の神経を鈍らせる、指導霊の能力を暗示します。
 一般霊癒上軽い症例の多くが調整されましたが、それ等は特に茲
で記述する必要はありません。
上述の実例は、霊医が肉身をもっ吾々地上の医師よりも、多くの智
識を保有するに相違ないと云ふ事実を実証するものと云ふだけで十
分です。
 本章を終るに先き立ち、睡眠中の手技について一言しなければな
りません。数例に於て患者が眠ってる間に脊椎に治療が施された事
実に霊癒家は注目しました。その報告の中に目立った類似点があり
ました。
 患者は就褥して眠におちました。夜問、患者は殆ど耐え難い程激
しい疼痛によって醒めました。
それは僅かに一、二秒問続いただけでした。それから疼痛は消失し
て障吉も消散したのを認めました。
             一五九頁
                      
 此の療法は墜落の際脊椎尾部を打ったために起っ脊柱の障害に悩
む三例の患者に行はれ、又他の骨の障害又は内臓変位の症例にも行
はれました。
 数年間肥大していた跚趾の関節が可なり著しく快くなった一例も
あり、その結果疼痛は消散しました。
 「アーノールド・クラーレ氏の霊媒術」に於て、ピーター(指導
霊)は骨の手技は「小さい人」の領分の中にあると述べましたが、
此の陳述に基づく智慧からはなれて、それを実証し、支持し又は確
保する実証はなかつたのです。
   附 録 (一九四五年三月)
比軟的最近に治癒した骨の畸形の実例中著明なのはG氏の場合です。
 彼は以前運動競技に従事した青年です。一九四二年頃、彼は身体
が硬直し始めたのを認め且つ可なり著しい疼痛を伴ひました。
 一層元気な生活法で病状に打ち勝つのを助長しやうと欲して近衛
隊に入隊しました。そして不満足な状態の下に書記の事務に傭はれ
疾病は増悪しました。彼は終に不治の患者として陸軍病院から退院
を命ぜられたのです。その証言は民間の医師によっても確認されま
した。此の時代に患者の脊椎骨が皆一緒に結合していました。
竹製の脊柱として知られた状態に化骨し、その後の結
             一六○頁

果、著しく駝骨となって背部は弓なりになり多大の疼痛と不快感が
あり着座にも起立にも困難を感じました。彼が著者に霊癒を求めた
数ヶの条件がありますが此処では言及しかいことにします。
個人的治療は一九四四年十一月に始まり1周回1回続けられました。
二週間目に腰椎の一つが動かせるのを認め幾週か続けているうちに
その上方の脊椎骨も弛くな
って、果ては脊柱が前後左右に曲げる事が出来るようになり、G氏
は庭へ穴を掘つたリ自転車にのって仕事がやれるやうになりました。
治旅中、著者は偉大な力が腕や指から流れ通るのに気がつきました。
半入神状熊であつた著者は自分の手から流れでるものに気がつき、
又脊椎をいぢつている時、霊医がそれをやつてるのを意識しました。
弓なりの脊柱は尚目立つていましたが、一ヶ月それをまつすぐにす
る為に特殊の努力が払はれました。著者は平生よりも一層深い入神
状態に入り、彼の手が凸出している脊柱の上に置かれた時静かに圧
迫を加へ、それに応じて脊柱骨組織全体が可動性だった様に感じま
した。
此の時から脊柱は益々まつすぐにたり今日、G氏が椅子にかけた時
肩胛骨を椅子の「よりかかり」に押しつける事が出来る程にまつす
ぐになりました。
[霊癒家が此の症例に於て成就し得た現象的成功のそれ以上の実証
は、今G氏に前方へかがんだ時、手の指でぼし跚趾にさはれるよう
になつたと云ふ事実です。
              一六一頁
   
 G氏に対する此の作業中を通じてエウルスピラー氏の霊癒能力に
より助けられた事を茲に記述しなければなりません。
              一六二頁

      第十六章 不治の患者


 霊癒は屡々医師によって絶望又は不治と見なされた不幸の人々に
対して求められます。
常にとは云ヘぬが時々それ等の症例が全治しました。又全治しない
としても、常に認む可き好果を伴ひます。例えば疼痛の減少、体力
の増加、深い眠り、一層良い食慾、全身の爽快感等です。
 次なるは著者の関与したに早期の一例を、代表します。
嬢(前々章参照)はグラパムと云う頗る悲哀な患者を著者に紹介し
ました。
その患者は恐しい疾病に悩まされていた一人の女です。その上半身、
腕も頭もすっかり肉がなくなり、腕は胸の上に組んで固定したまま
動かせず、指は固く組合せられて掴んでました。腰から下半身は腫
れて青色を呈し、足は頗る大きく長くなり下脚には青色の瘡があり
ました。此の哀れな身体の疼痛はその顔に認める事が出来ました。
皮膚は固く骨の上に引きつっていました。患者ば一ヶ年問病院にい
ましたが医師は病名をつける事が出来ず未知の微菌によるものだと
云って
             一六三頁

いたと著者に語りました。
 第一回訪問後、患者は特に一ダースの蠣が喰べたいと云ひ出して
それを喰べた程快く感じました。それ迄患者はどんなものをたべて
も皆吐いていたのです。
 幾回も訪間しました。各回の訪間中白く引きつった顔がどんなに
和らげたことか顔に少し血の気がさして来て眠りを伴つたのを認め
ました。
 その女の逝去する迄治療はつづけられ、彼女は安らかに平和にい
たみも訴えず永眠しました。
 それに次ぐ報告は一九四三年八月廿一目のサイキツク・ニュース
誌に発表されたもので、その筆者は専門医でした。かくて資格のあ
る医師が霊癒の真実なる事を認めていると云へませう。けれども英
国医学会におげる懲戒的行動を恐れるため、開業匠としては確たる
自身をもたなくては霊癒家の助力を求められないのです。

霊癒に対する医師の貢献、患者は不治の疾病から救われた。
 実地医家によりて 霊癒を認めるのは合法的か否か、私は最近此
の問題に就て弁護士に質問した。彼は答へて曰く「僕は知らぬ。
僕はすべて新法制と歩調を合せる事が出来ない。」と
此の雑誌(サイキツク・ニュース)の主筆は同様な質問に答へて次
の一文を書いた。「私は
              一六四頁

 法律の発布について全然確知しないが、然し、誰がそれを気にす
るか、私は記載されるとは思はぬ癌その他の難病の治癒を発表する
ためには終始一貫その法律を破っている。」と
 私が記述せんとする四例は癌の項目の下には入らない故、私かそ
れ等を記載する事は多分許されるであらう。私にとって此の自由の
国大英国市民が陳腐でない方法で彼等の病苦を治してならぬとか、
又其の方法で治ったらその事実を秘密に保たねばならぬと云うのは
異常な事の様に思はれる。
訳者註 英国には癌腫法と云ふ方令があって医師以外の者が癌患者
を取り扱ったり叉治した事を発表するのは違法であると認められる
やうです。
国会の一議員が指摘した様に若しイエス・キリストが今日英国に居
住して病人を治したら、彼は明らかに牢獄に抑留されるであらう。
茲にハリー・エドワーズにより治癒された四例の不治の疾患につい
て記録する。
第一例 三年前患者は鬚瘡と云ふ皮膚病に感染した。此れは手にお
へない頗る苦悩のある疾病である。戦争に従事していたため、患者
が熟練家の療法をうげ得る迄に一ヶ年の大半が過ぎた。専門家は初
診の際手遅れになったから、治癒の予想が遠のいたと患者に告げた。
私は同僚に此の症例を示した。彼は云った。
「九ヶ月問も何んにも治療をうけなかったのだから、九年
             一六五頁


の間に治ったら彼は幸せでせう。」と殆どニヶ年間、患者はロンド
ン及び地方の諸病院の皮膚科へ通った。時々一時的の軽快は認めた
げれども顔面の瘡は治らないのみか患部は徐々に増大した。
 最近四月、エドワーズ氏はその患者の治療を依頼された。約二週
後に、私が其の患者を見たとき、彼の顔はすっかり治って瘡のあっ
たあとを示す淡い瘢痕以外何も残ってなかった。
 私が見たエドワーズ氏の霊癒の他の症例同様洽癒は漸次に起って、
最初の一、二週間は僅かに軽快を認めるにすぎなかった。それから
突然痕が消敬する迄治癒機転が促進された。
 第二例 此れは巡行的体重減少、耐え難い疲労感ヂジヂリ進む健
康の悪化を訴える女子でそれに対して適当な原因を見出す事が医師
に出来なかった。医師はそれを心労と戦争に関?した栄養不良に帰
着して通常の治療を施した。けれども容熊は悪から最悪となり、患
者は歩く事も自らすすんで食事をとる事も困難になって来た。
 晩秋エドワーズに近づきとなって治療をうけ始めた。或る週間の
問何等特別の軽快も起らなかったが、クリスマスの朝患者は突然快
く感じて七面鳥と杏菓子を沢山夕飯にたべて友人たちを驚かした。
その日から断然軽快し初めて今日は健康優良となり、病中に失った
体重を二十四ポンドとりかえした。
             一六六頁


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