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霊癒の科学(11) [心霊と人生]

                     霊癒の科学(11)

 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳

 診断が確められてから療法の適用となりませう。療法は今日吾々が
霊癒線(Healing Rays)又ぱ宇宙力(Comic forces)と云う言葉でばく然
と説き得るにすぎないものです。
 個人的即ち接触法に於て、いかにして霊癒家の身体が、肉体の病状を
除去する上に、線又は力の伝達の媒体として使はれるかが示されました。
不在治療では斯る器具を使うことは出来ません。
 それ故多分次の臆説即施された治療法は患者の霊体及び幽体を通じて
肉体に応用されると云うのが安全でしょう。
 純然たる肉体の不調和が霊体に反映するやうに、医療による肉体の不
調和の消火なども霊体に於ける状態を消散します。それと逆に指導霊は
肉体から不調和を消散させる事が出来るから、それで肉体からも除去す
ることが出来るのです。
 上述のやうな事実があるにも係らず、霊癒家は直接肉体に影響を及ぼ
しうるものと信ず可き理由があります。此を行う一つの法は心臓作用に
よるものです。此の一例は不在治療による難治の皮膚病の症例の治験報
告に発見されます。此の症例に於ける病苦は血液の病的状能に帰因され
ました。
 然らば指導霊はどうしてこんな治癒を起す事が出来たでしょうか。
指導霊が一般に心臓作用に影響を及す事が出来るのを知ってます。
昏睡状態に此れを証明します。昏睡状態に達するには、変更した呼吸と
心動の率によって、身体の律動をかえねばなりませ
                 九六頁

ん。完全昏睡の場合には此は屡々認められます。特に侵来する霊人が霊
媒の身体を直接支配下におく時これを認めます。
 それ故に吾々は血行を取扱う指導霊の能力を認めねばならぬやうに、
霊医は血液を純化する。
 例えば皮膚病の原因を除くに必要な、どんな調整でも行うことが出来
るものと見倣すと主張する事が出来ます。
 引証した症例に於て、霊医の肉体の血行における仕事に加ふるに、治
療は霊体の血液の純化に指向され、それによって肉体に反映す可き反応
を起す事になるようです。
 此は此の症例に於て起った事の説明として提言されませんが、単に霊
医が及し得る影響についての智識に基く作用の存在しうる課程を示すも
のです。
 不在治療で、叉実際すべての他型の霊癒上、治療霊媒側に於て避けな
ければならぬ一つの心の状態があります。でそれは出鮎目です。頻回奉
仕してるどの霊癒家も非常にたやすく此の誤りに陥ちるものです。
 思想の価値の多大の重要さが力説されました。そして此の関係上霊癒
家は、時として分りきっと当然の事だと思い易いのです。
 此の出鮎目は、(奇妙に思はれませうが)霊的助力が当然の事として
期待される時、神霊主義
                    九七頁

者と、霊癒家自身に於いて恐らく最大でせう。発達した地的の霊癒家で、
指導霊は不調和に留意してる筈で自働的にそれを矯正するであろうほど
に身近にいると云う論旨が使はれます。同一の論旨は霊媒の親友及び親
戚の為に使われます。指導霊は彼等自身の手始めに病気等を矯正するだ
ろうと思はれました。
 著者は多数の斯る実例に出会いました。
有名な実例は「アーノルド・クラレ氏の霊媒術」と云う書物に引用され
てます。此の症例に於て、クラレ夫人は危急の病にかかり重篤の状態と
なりました。何故外観上何も行われていなかったのですかと最後に指導
霊に質問した時、指導霊は答えました。
「吾々は求められていなかった。」と。
その夜クラレ氏が昏睡している問に助力を求め、外見上の奇蹟か起りま
した。次の一、二時間以内に治療は明白となり、翌朝クラレ夫人は離床
しました。彼女を石膏で包み囲むために地方の病院へむけ特に旅行中で
あった倫敦病院の専門家を夫人白身で歓待する事が出来ました。
 経験上、出鱈目をやってる処では治療の起る事が稀なのが屡々示され
ました。
看過してならぬ点は、患者(又は第三者)による助力を求める思想放出
が、第一に施さる可き療法に対し必要な霊的連鎖を提供するであろう可
能性です。此は一般にそうではありませんが可能性はな在します。で、
それは患者の快癒に対する同情的思想で、霊癒力を無意識によび起して
                 九八頁

いる医師、僧侶又は友人等の思念欲望の結果として霊識されぬ霊癒が何
故に得られるかを説明するでせう。
 勿論かくして得た治療の範囲を測定する方法は、治療霊媒が奉仕に招
かれた場合と同様に皆無です。斯る際、期待する患者は又はその友人に
よりて観察がつづけられます。それで若し、彼等が陽性(+)と陰性
(-)とを問わず、霊癒家の許に成績を報告すれば、霊癒家はその結果
を記録帳へ記入する事が出来ます。成功の確認は霊癒家が患者に関与し
た、その実際の瞬間から屡々時で測定されます。
 それ故一般の実地上治療霊媒の奉仕が必要です。霊癒家は霊医と波長
を合わせる能力をもつてます。
 それがどんな治療が行われるのにも第一の要素です。
吾々は既に霊医が患者に接触する態度について略述しました。此の問題
をもう少し多く観察するのは有益でせう。
 霊的旅行の可能性に真に当面するため、吾々は心から吾々の理学的世
界の限界を離去しなければなりません。専門家が遠隔地の患者の許に往
診する際、彼はその町迄或る種の輸送機関を使いそれから町を探し出し
てから家族も探さねばなりません、吾々の此の困難は明らかに霊界の智
識人(霊智者)には適用されません。
               九九頁
        
 科学的実験は二名の人問の問(例へば一人は倫敦に他の一人はマンチ
ェスター)に組織された遠感的交通の実在を証明しました。此等の実験
は思想の伝達と享受が此の二名の人間の問に於て可能である事を証明し
ました。
 どうして霊癒家が霊的旅行に従事する事が出来るかは既述しました。
此が起った時、空間を旋回すると云う感じはありません。幻像は全然自
然に、何の前ぶれもなしに霊癒家の意識の中へ入ってきます。
 遠感術の場合、二つの思想力が或る距離をはなれて相互に求めていま
す。類似の事情は時として不在洽療にも適用されませう。患者は霊癒家
が、彼のために祈る時問を知ってます。それで若し患者が此の時間にに
連絡しやうと努めれば類似の事情があるのです。
 然しそこに著名な差違があります。即遠感術の実験では幻像がなく、
唯観念又は思想の享受だけがあります、此は附加的要因即霊性又は心霊
的性状の必要なる事を含みます。
 享受性の一端(患者の方)にとって思想上霊癒家のものと活溌に達絡
す可き事は必要がありません。霊的旅行は患者の方から協力が無い時に
屡々起るからです。
 此の章で前に引証した症例、即ち著者がイングランド北部の小児の動
静をその父に述べる事が出来た場合に於て、遠隔してる家から放散して
作用する思想力は無かったが霊癒家の意識は容易
              一〇〇頁

にそこ迄旅行する事が出来ました。かくて未端的に波長を合わせる二つ
の肉休的思想の存在は必要がないのです。
 それ故もし霊家の霊的自我(その肉休との密接な共伴によって限局さ
れた)が、かく遠方の予め定めた接触点を求め事が出来るとしたら、一
層利巧で自由な壮言ヤ者が更に容穏に定められた接触点を探し出す事を
邪魔するような理由があり得ないし、距離は勿論考慮するに足らないの
です。
 人間は彼の科学的智識を応用して、倫敦の甲某は彼の家の電話で短時
間中に紐育のZ君を尋ねて通訳する事が川来るし乙君も亦甲某と通話の
仕度をします。僅数十年前には、此の事がなんと云う奇跡だったでせう。
それでも尚霊界の領域に於ける霊的思想の旅行と云う自然の機能に比較
したら、人間の機構はなんと云う未熟な面倒なものでせう。
 入間のあらゆる経験、あらゆる印象、慾望の満足、失望等は精神的認
識であり、視覚も触覚も味覚も視覚もそうであり、損傷した部分に記録
されず肉体にのみ記録される疼痛も亦そうであり
ます。
 見当違いの事として形而上学で適用する思想作用を考える事は止めや
うではありませんか。
吾々はたった今、人問のあらゆる経験は思想認識だと云ひました。それ
故霊医が行動に影響す
                一〇一頁

るため同一の思想潜在力を使う事が出来て、それによって不調和を廃除
するといふ事は非常に非現実ではありませんか。
 精神運動の結果として、人間は機械装置により自然力(磁力、電力等)
を、過去の時代の学者には考へられなかった、幻想として現れたであら
うような方法で指向する事が出来ます。
 かくて肉身を脱した智識人が人間媒介を通じて、他の自然力を操って
肉体の病的状態を除去する事が出来るという事実に関して提出されたす
べての実証に当面して、誰がそれを否定する程に自惚れて愚かでゐられ
るでせう。
 歴史全般に於てすべての新思想、あらゆる新提案や新哲学は、古いも
のと戦はねばなりませんでした。古い観念が法律、教会、医業等のいづ
れかにより附与さ牡た利宍関係、嫉妬深く守られた伝説と利古主義と経
済的企図によって防禦される時、永久にそれを過少視し、嘲弄し、避難
する大衆がありました。然し彼等の哀愁は新しいものが正しくて実証的
である特に決してひろがりませんでした。
霊癒の真実性も他日そうなるに相違ありません。
                 一○二頁

一九四四年六月二個の爆弾が著者の家を壊しました疎開中又その後、新
しい家におちついて著しい治療の特徴が認められました。
 一九四四年六月以前、著者は患者のために祈りをする時、患者と思念
の連絡をするため、時問の打合せをしておきました。
 上述の騒ぎの問に不在治療のために規則正しく着座するのを妨げられ、
打ち合せた時問の約束も守れませんでした。著者は事情の許す限り祈り
をつづけました。
 著者はそれにより治療能力が混乱されたものと予期していましたが驚
いた事に、他のいかなる場合よりも此の期間に治療効果が進渉している
のを発見しました。
 此の状態につきなぜかうなったかを考える場合が与えられ、解決が見
出されました。
 実際、その解決は既知の知慧の把握の中に常に存在していたのが認め
られなかったのでした。
その含意は遠大で一般の不在治療の普遍的技術に影響するでせう。
 霊癒家と患者の問の打ち合せは、過去の或る期問、不在治療実施上の
言い伝えでした。多くの霊癒家が此の方法を採用しました。著者も普通
の言ひ伝へに従っていました。特に時問の打ち合せについて尋ねた多く
の患者は皆それを知っていましたから。
 著者は自分できめた時間の指定を遂行することが出来なかった時一層
偉大な治療成績をあげた事実を回顧して、あらゆる種類の霊界通信に対
して緊要な基本的心霊的原則を思ひ起します。そ
               一〇三頁

の原則は精神緊張の欠存と肉体的意志の服従が必要である事です。
ピーターの言葉は此の心の状態を頗るよく現はしています。その語を再
び引用しませう。
「霊界の技師、霊的の心及び他覚的意識問の完全な黙従と完全な歪曲の
欠存とを必要とする」
と此の黙従(波長を合わせる事)をうる技術は容易ではあリません。
普通の人々にとりて、それを会得するため或石一定期問、啓発会員の一
人として着座するのを常とします。
 それ故、打ち合せた数分間の時間中に疾病に悩んでる普通の患者がそ
うする事を期待するのは合理的に期待が出来る事以上です。出来かねる
といってよい事です。大多数の場介に、弛緩してほしい緊要な時間中、
患者の心が非常に緊迫さ且てる事が非常に多くありそうなのです。
 例えば甲の夫人が午後九時から同卅分迄、思念連絡する時間として打
ち合されたと仮定する時、可なり多くの家庭的要因が精神傷害を起し易
いのです。加之、祈りの時間に不快感が除去されやうという予期的の感
情があり、彼女は洽癒力の存在の或る経験に対して霊医の個性叉は霊線
に注意してます。又信心深い考へで心が力強く占居されてませうし、又
彼女は疼痛と不快感に悩まされてしまう。すべて以上述べた状熊は精神
緊迫を生じ易いのです。
 霊媒又は他の人との霊的接触は、心が他の考へに使用されず、占居さ
れない時に最もよく行はれるのは承認された事実です。天啓、予感、霊
的幻像霊聴等は或る人々が、全然何も考へてい
              一○四頁

ない時に起ります。霊界通信が流れ入るためには心が空虚でなければな
りません。潜在的心霊力の智識のない人々には、屡々彼等の心が使はれ
ていない時に斯る印象をうげます。
 患者が眠つてる問に最も屡々治療が施されるのも亦承認された事実で
す。患者の手紙には屡々霊医の存在霊線、又は実際に治療が施されてる
のを見るために目がさめた事実がかいてあります。
かくて霊医は睡眠中、心が安静である時を、彼等の仕事をする機会とし
て選んでいます。それ故著者は大多数の症例に於て治療霊媒(霊癒家)
及び霊医と連絡するため患者との時間の打ち合せをするのに反対の考へ
をいだき、時間の打ち合わせによつて治療を助長するより寧ろ妨害され
るとの結論に達しました。
 此等の所見の結果として、一九四四年十一月、全然新しい技術が次の
ように採用されました。
 (イ)時間の打合せは行ないませんでした。
 (ロ)霊癒家は同様祈りをするのに一定の時問を自分でもきめません。
    一日中の職業を完了した後に此を行うため深夜に及びました。
    祈りは真夜半に向つて始められて、仕事が終る迄つづけ られ
    ました。比は患者が多分眠っていて、その為患者の心が安静で
    ある事を更に意味します。
 (ハ)患者の為の一般的の祈りの代りに既知の不調和に対して指向的
    の祈りも施されます。
 (ニ)既知の不調和は毎週の病状報告により患者から得られるのに加 
    へて、患者の容態について
               一〇五頁

 の霊癒家の霊からうける智識によりて得られます。
 (ホ)何時でも報告を提供する患者の善い意志に依頼する代りに、治療
の継続に対する条件とし て毎週報告をうけるる事にきめました。(遠方、
又は研究所或いは海外に住む第三者に対して 或る人が治療を申込んだ時
は此の此の規則を寛大にしなければなりません)
 此の法にこり、覚患者は毎週の治療的進展を監視し得る個人的症例とな
ります。或る程度の友 情と比較的十分な信頼は、それによって患者と霊
癒家との問に確立されます。
 此の実行け次の利益と不利益を伴います。
利益としては種々の種類程度の疾病に対する霊癒の方法について多くのこ
と学ぶことが出来て、どんな具合に恢復が進渉するかを知る事が出来る点
です。更に霊癒家のうげ取った霊人からの報告に従い、彼は予め患者の恢
復上認む可き次の段階について屡々語ることが出来ます。
 此の方法の不利益は通信に要する時間の多大の増加です。すべての手紙
に著者は個人として、返信せねばなりません。
 どの方法の治療でも、出鱈目は皆有害の結果を来すことは既述した通り
です。
 既知の状態に対する指向治療は最も重要であり意味深長です。既述の状
態に指向治療が施されてそれに続く数日間にその記述された容態が治癒し
てしまったものの増加しつつあるのが見出さ
               一〇六頁


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