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霊癒の科学(9) [心霊と人生]

霊癒の科学(9)


 学問として体系づけられた心霊研究ではあるが、その概要を
知るには現時点では先達の文献に依るしかないのが現状であり、
なんと云っても、浅野和三郎先生、脇長生先生の著作集による
のが一番である。今回からハリー・エドワーズ著山本 競訳の
「霊癒の科学」を載せます。・・・・

{注}パソコンでの入力の関係上JIS設定にもれている漢字の
   表示が困難な場合は現在の簡易表示体で代用するものも
   あるのでご理解ください。
            霊 癒 の 科 学
     
               ハリー・エドワーズ
               山 本   競 訳

 

 疼痛状態は、治療的の手の持主が徐々に按摩をして頭痛をとりのけ
られると同一の方法で、彼の手で、数回患部(普通衣服の上から)を
撫でおろす事により普通楽になるか、叉は全然除去する事が出来ます。
 疼痛状熊叉は他の多くの主訴を緩解するために、霊癒家と患者は、
霊癒家の手から可なり多量の熱が放出されてるのを経験します。
 比は潜在的宇宙治癒能力の存在の追加的証拠を提供する普通の要約
です。霊癒家は彼の意のままに熱を産出する事は出来ません。
それは正に注意されてる主訴の病状に従って起ります。
 此の熱はやくやうな性状をもってます。此処に吾々は電光のやうに
焦げると云ったピーターの語を引証する事が出来ます。それは血温よ
りも遥かに高い。即霊癒家が巫者の他の両側に手をおく時、熱は躰を
透過します。即それは単に外表の熱であるばかりでなく、尚内部的に
感じ得る、深く透入する熱です。
 患者は関節炎、リウマチス、結核、腫瘍等の症例を加療する時、此
の熱線を経験します。此の熱線が流れてる時、霊癒家は患者の体表か
ら六吋の遠方迄手をはなした時にも、それを感じ得られます。時には
もっと遠くはなしても患者から熱を感ずる事が出来ますが、手が患者
から遠くはなれるに従って熱を感じる程度が低くなります。
                七六頁

熱線は通常の人問の支配力を超へた治療力の存在の明白な証拠です。
それは霊癒家から発生する事は出来ず、又霊癒家が発生させやうと思
ふと出なくなるでせう。それ故これは霊癒家の心では支配さ牡ません。
これは加療されて疾病の容態に従って発生します。此の実証は治療力
が肉身を脱した利巧な良心によりて応用されてるに相違ないと云ふ早
期の所説を補強します。
 治癒が起ると云ふ約束も保証も、霊癒家自身には与へる事が出来な
いと記述されていました。
そ牡にも係らず、容態が全治した場合と、外見上全然変化のない場合
のいづれにも、常に起る処の一つの効果があります。それはすべての
患者が加療により快感を覚ゆる事であり、安眠、食慾及び患者の気分
の好転等完全な強壮剤の様な作用です。
 或る人は他の人より治療をうけ易い様に霊癒家に思はれます。霊癒
家は患者が力を得てるかどうかにつき敏感です。時としては患者が享
受性で生命のない木片の様に感じることかあります。
 著者の経験上、斯る患者は享受性と思ばれる者よりも治癒を伴う傾
向の少いのが常規のやうです。
 此処でも亦無条件に断言を下す事は出来ません。
 霊癒の全領域を通じて、患者のうけ得る効果の程度を支配する不変
の規則は無いことを見出すでせう。
著者は上述の事実に関する一例を記憶しています。
               七七頁

 

 一人の女性の患者が長い治療会の終る頃に来ました。彼女は幼児の
頃からそれ迄ずっと聾でした。母が彼女の幼時、蝋をとかしてる最中
誤って彼女の耳の中へ熱湯をこぼしたために起ったと云ひました。
それは彼女の生後二、三週開以内に起った出来事で、湯が余りに熱過
ぎたため彼女は令然聾になってしまったのです。
 此の女は霊癒家感応上生気がなかったし、実際その人格も虫が好き
ませんでした。著者は患者の非感受性の感じを、又彼の療法に何等の
好果も伴ふまいと思ふ旨を告白しました。でもその女は一時間後、真
夜半近くに、頗る興奮した様子で、彼女の耳がきこへだした事を報告
するためわざわざ来訪しました。
彼女に喋べる事の出来た唯一つの言葉は、「私、きこへる。私はきこ
へる」と云ふ事でした。
聴覚は復常していました。彼女がその次に著者を来訪した時、彼女は
洗濯屋で働いていて「娘さんたちがあんな多くの約束が出来る」なん
て未だ且って知らなかったと著者に語りました。
 患者が非感受性と思ばれる時、患者の肉体と霊体の問に不調和かあ
る事もありませう。そして霊癒家と彼の霊医と、患者との問で波長を
合せるのを邪魔してるのです。原因が霊癒家と患者との反目の事はな
いやうです。即霊癒家は全然非個性的で、患者の個性に関係せず、疾
病の容態と彼の奉仕せんとする慾望に関係するだけです。
               七八頁


霊癒の主要な第二の分派は不在治療(遠隔療法)として知られてるも
のです。
 第四章に於て不在治療の適用法について初歩の説明を致しました。
他型の霊癒の成績が驚く可きものであるやうに、不在治療によって起
る効果は、その幾倍か不可思議なものです。
 接触(個人)療法では患者と霊医(治療指導霊)の問に、治療霊媒
と云ふ人問の確実なつながりがありますが、不在治療に於ては唯不確
実な思念の仲介があるにすぎません。
 約言すれば、不在治療は、或る距離にいる或る人のために治療霊媒
により指向されます。その人は一般に霊媒が未だ且って逢った事のな
い人です。患者は地球の反対側にいる事もありませう。
距離は問題でないのです。遥るかに遠い国から患者は電報で霊癒家の
救いを求めて申込んで来ます。パリツシュの記録に此の症例が認めら
れます。同時に仏蘭西、瑞典、モザソピッ、リカ、印度に居る患者に
ついての効果が著者により記録されています。
              七九頁

 

 茲に推測の領域に入って来る新しい要素があります。それは霊癒が
自己の意志力又は信仰療法の結果であるとの論旨を全然打ち砕く要素
です。
 此の要素は第三者の仲介的紹介です。印ち患者のために助けを求め
て申込む者が親戚又は友人の場介です第三の中問(即仲介)を要する
条件は
 (イ)患者が余りに衰弱して手紙がかけない為め
 (ロ)患者が霊癒の智識をもたぬため
 (ハ)患者とその家族が神霊主義に反対しておる時(一般にローマ
    ンカトリック信者達)です。
 此等の状勢の下に、患者と霊癒家は直接面接していないのです。
同様の状勢的傾向は小児又は精神錯乱の為めに救いを求められた場合
にもあてはまります。
 斯る状勢の典型的実例は一九四一年二月十五目のサイキック・ニュ
ース誌に発表さた次の報告です。
此の霊媒はローマンカトリック信者に問題を起したイングラント北部
に住む一人のローマンカトリック信徒は難しい問題にぶっかった。
彼女の母は最近、癌腫で帰幽した。死亡する前両三日の問、彼女の苦
悩はすっかりなくなって、薬を
              八〇頁

やめて安眠が出来るし食事もとれる程になった。
 その女の難問は、彼女が不在治療を申込んだ時問と母が楽にたった
時問とが一致してる点に初まつだ。祈祷した霊媒(或は僧)がそれに
対して責任かおるかどうか決定しかねたのだ。
 娘(彼女自身四十二歳で、普通の水準以上の頭脳の特主だと述べて
る)はサイキツク・ニユース誌上で霊癒に関して読んだ事のあつた、
ハリー・エドワーズ氏に手紙を送った。それは彼女の六十七歳の老母
の癌の病勢増悪に悩んで激痛に対してモルヒネを服用して僅かにしの
いでる時の事であった。
 「私達は皆終焉が来たものと思つてます。けれども私は奇蹟が起つ
てる記事をよみましたので御手紙を差し上けます」と彼女は書きまし
た。
 彼女が手紙を出した翌日、母の容態は非常に軽快したのを認めまし
た。此の数週間の問に初めて安眠して翌朝も明らかに気分良く目を
さましました。

  疼 痛 の 終 止 符

 「母は軽い朝食とりそれを吐きません。これは稀有な事です。その
時から母には疼痛がなくなり服薬の必要が良くなりました。母けそれ
から二、三日後安らかに帰幽しました。」
 「母の死亡の二目前に、母は彼女の死んだ母と談してる様に思はれ
ました。家族のものにはそ
               八一頁

 

れはわかりませんでした。がそれは全く自然で、瀕死の母は一緒にそ
の部屋にいた、他の人たちと普通の話をしてました。」
「母の母親が私達と一緒に同じ部屋にいた様でした」と娘はその手紙
にかいてました。
「僧は幾度もよばれて母の安心立命の為に祈祷していました」と手紙
はっづきます。「僧も私の家族も病状の変化とその他の事情が祈祷の
結果だと思います。私は母のために貴君が思念して見ませうと云はれ
た夜、変化が初つた事を忘れる事が出来ません。」

  驚く可き安心立命

「驚く可き安心立命が僧の祈祷によるか又は貴君の力によって起った
かは、私自身で研究す可き問題です。」
「貴君の助力に対し、私の衷心よりの深い感謝を表現す可き語があり
ません。貴君の奉仕により驚く可き事が起った事、母が最後の時にあ
んな安心立命の境に入り得た事は私の心から離す事が出来ませんし、
カトリック信者である私にとつては難問題です。」と、
他型の霊癒におけると同様、不在治療にも定まったやり方はありませ
ん。
               八二頁

申込は口頭又は手紙で出来ます。霊癒家は申込をうけた時、一定時間
に患者に対して思念を送ります。
 此の思念放送は、一般に一日中の或る一定の時間に、閉ぢ籠つた静
かな部屋に坐つて居られる時に施されます。(単独に又は友人と共に)。
その際彼はすべての社会的事情についての考慮から離れて彼の指導霊
(霊医)と波長を合せます。
 霊癒家が波長を合せる能力即彼が容易に霊医に自己を全託しうるか
どうかは、当然、霊的親和力又は心霊的発達に関係します。
 彼の心の指向する意識の方法によって、彼に協力する霊医が、患者
に対する懇願の思念を享ける事が出来ると云ふ智識に、霊癒家は全幅
の信頼をもたねばなりません。
 此の信頼は屡々神霊主義的天恵とは別箇の純然たる霊的天恵の訓練
によりかち得た治癒についての経験から生じます。概則として、すべ
ての霊癒家は高度の心霊的法規もつてます。若しそうでなければ、其
の霊癒家は同胞への奉仕の為に彼の時間を捧げていないでせう。
 不在治療は自然の天恵で、すべての人々が、大なり小なり或る程度
に所有する事を茲に提言します。けれども成功する霊癒家は、彼の霊
力の発達によりて治癒させるやう自ら用意して、物質的の考究とは異
なった霊的価値により安配された生活を送りつつあります。
              八三頁

 

 霊癒家がその研究上進歩するや、霊智者との交通の容易さは第二の
性質となるやうになります。
 著者はロンドン警察隊の一員である霊癒家を知ってます。彼は逞し
い大男です。神霊主義で発表してる様な来世の確信者です。
彼が巡回中、弱々しい老婦や、明らかに衰弱した不健康な入に出会っ
た場合、彼はしづかにそれらの人の背後に歩いていって、自己の大恵
を働かせ、相手が誰であっても意に介せず、治癒力を指向します。
比は閉ぢ箭ったり静座したりする必要なしに、平生の態度で治癒的大
恵を活用してる処の、典型的なロンドンの警官の崇髙な光景です。
 条件はどの雲癒家にも多大の助けです。上述の物語は閉ち箭る事の
価値を過少価しようと企てたのではなく、治療力がいかに自然に与え
られ得るかを解説する為に述べたのです。今話した物語をきいて、患
者はその警官の治療法により効果をかちえたのかと訊ねられるでせう。
記録がないから何んとも云ふ事が出来ません。が著者が同様の状況の
下に治療してその効果が証明された事を述べる事は出来ます。
 著者の職業は図書室を備えた印刷屋で文房具部も兼備してました。
此の職業を経営してる間に顧客が屡々彼自身の病気や親戚知己の病気
の噂をしているのをよく機会は非常に多くありました。
治療実習者にとり、病気にっいての談話は、彼の潜在意識にその病人
に対する自然の反応を起します。此の反応は強いて起されるわけでは
ありません、同情的治療力の自然の流出です。霊癒
               八四頁

家はそれを起した事を殆ど意識しません。顧客も勿論それを認識する
事が出来ま廿ん。此等の事情の下に、著者は、その後続いて来られた
時その人が若し御得意の客で本当に顔見知りの人であれば、いつから
か御楽にたりましたがときいて、此の店に初めて来た日から恢復し初
めたと云ふ報告をきく事が出来ました。
 此の章が初めて起草された時より一週間前に起った、上述の話の実
例かおります。
 一人の婦人が、乳嘴突起の膿瘍、或は炎症(医者も確診してゐなか
った)に躍った小児の為に参考になる書物を図書室で探していました。
著者はその青年をよく知つてい言した。その母が病気の話しをしてい
る時、著者は自分に治療能力が発現しているのに気がつきました。
 断言したり履行したりする平生の実地治療とはかけはなれて違ふ事
を強く心に印象して、その母に患者は三日以内に快くなりませうと告
げました。母は、医者が永い危険な病気になり易いといっているから、
どうか貴君の話が実現してほしいと云ふ意味の答をしました。
処で第三日目の朝、その青年は全快して自ら借りた書物を図書室に返
しに来ました。此の自然治療の経験の症例数は幾倍にでも増加する事
が出来ます。
 著書の早期の不在治療経験の問、奏効的成績は、唯静座する通常の
やり方で精神的昏睡状熊を起した後でばかり起る事を認めました。
               八五頁

 


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